ヲイラの人格に絶大なる影響を与えた松本零士氏の作品

なんか急にピピっと来たので、ヲイラの人格や思考パターンに超絶的に影響を与えた松本零士氏(以下、氏)の作品について、チョイと書いてみたい。なお、これが「ピースサインをした写真の入った写真立てが倒れる」ようなコトでなければイイのだけど…(謎)

ヲイラが最初に氏の作品に触れたのは、たぶんキャプテンハーロック(アニメ)か銀河鉄道999(アニメ)が最初だと思う。実は宇宙戦艦ヤマトは放映時には全く見ていない…実家ではハイジだったからね。また、スタージンガーが同時期にあったけど、実は当時は氏の作品だとは思ってなかった(笑)。

キャプテンハーロックの影響は今でも色濃く残っていて、ヲイラがよく「国(国家)」と「邦(国土)」を言い分けるのもそれ。あの作品でトチローは、腐った地球政府が運営する国家に対しては叛逆したけど、清らかで美しい地球の国土は愛していた。だから娘の繭を地球で育てようとしたんだな。また、今でも珍しいと思うが準主役(一応、ハーロックか台場正が主役だからな)の座に「チビでブ男だけど天才エンジニア」がいたというのも、実は未だに影響している。見てくれなんて自分の好きにしてればイイのだ。実力でモノを言うのだ…という教えを受けたんだな。氏の作品にはその手のお話が結構あって、当時のヲイラの妄想の原因になってもいた…まぁ、未だに妄想してるのかもしれないが…。

戦闘艦だけど乗組員の家でもあるアルカディア号は、「やるべき時にやるべき事をやる。それ以外は自由だ」というルールになっている。まぁ、酒を調理場からクスねてきたりするよーな医者(笑)も乗ってたりするんだが、この考え方もたぶん未だに影響を受けてる。だから、なんでもかんでも手取り足取りの手順に縛られるのは大嫌い。その手順に妥当性が感じられないなら取り合わないか、もしくは徹底的にその理由を聞き倒す。まぁ、それで嫌がられるコトも多々あるけど、自分が納得できないコトではまず動かない。

銀河鉄道999は、大きな物語の流れとしては主人公である星野鉄郎の成長物語なのだが、その途中で出て来る個々の停車駅のエピソードに秀逸なものが多かった。

  • 全ての生き物が装甲に覆われた結果、なにも食物にならなくなり食物連鎖が崩壊、結果として滅びを迎える「装甲惑星」。
  • 表向きだけ清廉で、ひたすら綺麗なイメージだけを表に出そうと躍起になった結果、警察もなく犯罪も取り締まれず、挙句に被害者の方を抹殺しようとする「さんげの国」。
  • 人生の全てを何かに捧げたプロフェッショナルな人が最後に行き着くが、そこに残っているのはただただその何かを続けるだけで、下手をすれば周囲の人を巻き込むのを厭わず、最終的には殺されるまで続けてしまう「プロフェッショナル魂」。
  • 公害を撒き散らしながらモノを作るコトに反発した人たちが、そこを出て新天地へ向かおうとする「鋼鉄天使」。
  • ある戦士が故郷の星に帰ってみると、役人が星を切り売りして無残な姿になっていて愕然とする「停時空間のかじられ星」。
  • ネジだけを作り続け、一本のネジの重要性を教える「ウラトレスのネジの山」。
  • 一度失った信用は、どれだけ努力してももう二度と戻ってこないというコトを教わった「大酋長サイクロプロス」。
  • 本物の戦争を見世物にし、それで利益を得ている観光地のお話「永久戦闘実験室」。
  • なにもかもが便利になり、考えるだけでさまざまな事が実行されるが、それゆえにブクブクと太り、自分では身動きすらできなくなってしまった人たちを描いた「なまけものの鏡」。
  • 一方的な科学の結果は、必ずしも人を幸せにしないというコトを語った「ヤミヤミの姉妹」。
  • 悲しみを感じるコトを楽しみとし、葬式をあげるために人を殺す星を描いた「霧の葬送惑星」。
  • 星中が毒の花で覆われてるけど、古い法律に縛られて誰も処分できないでいる「心やさしき花の都」。なお、これは結末がTVアニメと漫画で違っていて、漫画の方が厳しい。
  • 科学力だけを信じ、他者がどうなろうが全く省みる気がない人たちを描いた「大暗黒星雲アフリカ」。
  • 過去に賄賂が横行した結果、全ての住民が乞食になってしまった「17億6千5百万人のくれくれ星」。
  • あまりに合理主義が進んだ結果、職業選択の自由すらない星を描いた「永遠の夢追い星」。
  • 機械の身体になって永遠の時間を生きることの意味を考えさせられる最終回。

他にも色々あるが、どれもヲイラの人格形成に影響を与えていると思う。ヲイラ的には、この二つの作品は今の世の中にこそ再放送してもらいたいものだと思う。道徳がどうのこうのと言うのなら、特にね。まぁ今の政権に忖度して、どっちの作品もまず再放送などされないだろうけどな。

この二つで氏の世界にハマったヲイラは、仕事して自分でお金を稼ぐようになってから、古本屋等で過去の漫画作品を買い漁り始めた。その中に戦場シリーズというのがあった。概ね第二次大戦をベースにした架空エピソードの形で一話完結のお話が並ぶのだが、どれも戦争というものは悲惨でしかないお話になっている。そして、その中で使われる機械の物悲しさを語っている。時々ネットに上がってくる歩兵銃のお話とかもコレ。

ハーロックにしても999にしてもそうだが、平和を祈るとともに、いわゆる権力への迎合を唾棄するお話が多い。もちろん、上手に運営されているものを否定する気は無いが、基本的に権力が集中すると何が発生するのかをシミュレートしたような作品が多いように思う。ハーロックにおける地球政府なんて本当にクズだし、999における機械帝国は一見ユートピアに見えるものの、実際にはエゴの集まりでしかなく、打ち砕かれるべき存在として描かれる。

特に999の各停車駅においては、権力は放っておけば腐るもので、それを打ち砕くのはどこかにいるヒーローではなく、そこにいる一般の人の役割なのだというコトを繰り返し語っていたのではないだろうか。鉄郎がその手助けをするコトはあったにしても。

その後の氏の活動には、正直いって疑問符をつけざるを得ないコトも多々あって非常に残念な気持ちになるコトも多い(特に著作権関係とかね)のだが、少なくともここまでの氏の作品については、ヲイラのベースになっている事は間違いない。そして、少なくともあの頃の氏の表現したかったものを受け継ぎ、ヲイラはヲイラの道を行く。それが、少なくともあの頃の氏に対する礼儀だろうと思っている。

 

それにしても、本当に急になんかピピっと来てこんな厨二な文章をダーっと書いてしまったのだが…最近の活動ではあまり絵も描かれなくなってしまわれているだけに、少し気になるトコロではあるな。

余談だが、打ち砕かれる機械帝国を端的に描いた劇場版銀河鉄道999のテーマソング「銀河鉄道999(ゴダイゴ)」を、「国外追放」とか「亡命」を意味する英単語をグループ名に持つくせに、実態は権力に迎合してるようなタレント活動をやってる連中がカバーしてたのは本当にお笑いだと思う。

あと、最近やってる2202なヤマトは論外として、ヤマト2199で見られたような素晴らしい裏打ちのし直しを施してリメイクした劇場版銀河鉄道999を見たいと思うのはヲイラだけだろうか…。無論、当時の映像も今見ても非常に美しい。ただ、どうしても残念な作画になっている部分(線路の幅とか機関車のロッドの動きとかね)がいくつかあるので、そういう部分の修正だけでも構わないのだが…

はてさて…

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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