[Essay] 秋葉原 私感

なんかまたプレジデント方面とかで、秋葉原(以下アキバ)に対する奇妙な考察が出て来てたので、ヲイラの理解するアキバについて書いてみる。結論を先に書いておくと、ヲイラの私感では、あの街は「今も昔もオタクの街」である。

遠い昔、まだ今のような電気街と言われなかった頃は、特に特徴があった街であったとは聞いていない。青果市場があり、そういった商人が集まる街だったと聞く。

今の基礎になったのは、戦前からあった一部の電気屋(と言っても、実は部品屋なのだけど)に、終戦後の闇市が合体してできたものと聞いている。(参考文献:http://akiba.or.jp/archives/history01/)当時、ラジオの完成品は高額でなかなか手に入らず、自分で部品を買ってきて組み立てて動かすものだったそうな。これは逆に言えば

「自分で部品を買ってまでしてラジオ放送を聞きたいオタク」

が集まっていたとも言えるのではないかと思う。当然、回路図が読めなければ組み立てもできないし、組み付けるシャシーの加工も大半は自分でやっていたものと思われる。当時は真空管がメインだったので、回路は真空管ソケットとラグ板の間で行われていて、さらには電源にもデッカいトランスを必要としたので、アルミの巨大な弁当箱のようなシャシーに穴をあけ、そこにネジ止めしていくしかなかったのよな。プリント基板は滅多に無かったハズだし。こんだけの作業をしてでもラジオ放送を聞きたいなんての、まさにオタクそのものぢゃないか。

しかも、この流れは初期のテレビにまで繋がっていて、テレビキットなり部品なりも販売されていたという。当然、ラジオどころではない回路の複雑さなのだが、それすらも乗り越えてテレビ放送を見ようと言うのだ。どんだけオタクやねんって思うで。

雑誌にしても、まさにそのまんまの「ラジオの製作」って名前の雑誌があった(結構長く続いたし、なんと今は電子工作マガジンって名前で復活してる…編集長は同一人物な)し、他にもいくつかの雑誌がこういった電子工作を扱っていた。

で、こういった流れは当然徐々に廉価になっていった完成品によって脇に追いやられ、一大家電製品の街になってゆく。

では、電子部品屋はどうなったのか?言うまでもないよね。今でもチャンと残っている。ラジオデパートとかラジオガァデン、ラジオセンターなんかはまさにこの流れの生き残りやし、秋月も千石も今でも現役で営業してるわな。

その後、オーディオとアマチュア無線の無線機で同様の賑わいを見せながら、街は発展していったそうな。どちらも自作とメーカー製が乱立し、それら関係の電子部品が売れ、やがて大半がメーカー製に収斂していった動きも同じやし、同時に小さな(同人誌的な)メーカーも残っていったと聞く。

で、1970年代半ばにその電子部品方面でエラい騒ぎが発生した。そう、マイコンの登場。もちろん、それまでにもコンピュータは存在したが、今で言うところのスパコンとかその手の存在で雲の上(クラウドぢゃないぞ)やし、所有なんかまずあり得ない。しかし、マイコンならそのミニマム版が手にはいるというのだ。

当然、これに飛びつく層がいたのは理解できる。当時の大学生あたりがこぞって参入し、専用の雑誌が発行されたりもした。回路図とプログラムがあれば、あとは電子部品屋で部品を買って来て組み立ててプログラムを入れれば動くワケだから、そういうモンを記載した雑誌が複数出ていたのな。ちなみに、その典型的なのがアスキーね。コレの創刊は当時まだ大学生だった人たちによって行われているんよ。

初期のマイコンでは、まだLEDを光らせる程度が大半だったけど、一部にはカラーグラフィックを持ち込む奴もいた。そういった状況から、これも同じく徐々に完成品が世に流れ始めるワケだけど、標準でカラーグラフィックを持ち込んだ奴が出た…そう、Apple][ね。

たったの280 x 192ドット6色しかないカラーグラフィックだったのだけど、驚くなかれすでにもうエロゲーが存在していたのよな。

http://appletechlab.jp/blog-entry-228.html

これ、1984年のコトやで。その後、国産の完成品マイコン(=パソコン)が浸透し、グラフィックの解像度もうなぎ上りに上がっていくワケだけど、当然のコトながらこういったエロも含め、可愛い女の子の絵を表示するなんてのは日常の一つと言って良かったと思う。ヲイラの学生時代やと、うる星やつらのキャラか魔法少女モノのキャラ(そう、当時からあったのよ、これも)が表示されているコトがとても多かった…もう今から30年以上前のコトな。

Windowsがリリースされ、DIY PC系が例によって家電と全く同じ動き(部品屋→完成品屋)を見せる一方、ゲームに特化したハードウエア(ファミコンの系列ね)が伸び、ゲームが売られ、ゲームのキャラに関連したグッズを呼び込み、アニメやコミックとのミックスメディア状態になっていったのは記憶に新しいトコロ。

その流れで、二次元から三次元へのスライドも様々に行われ、メイドカフェはその一端の流れの上にある…であれば、これもまた当然同じような流れになっていくのは必定で、初期はアマチュア的だったものが、徐々に大資本が入ってプロ的になってゆくのもまた同じ流れだよね。

電子部品屋が、ガチ向けが今でも残っているように、恐らく今あるいくつかの業種も、徐々に大手が出てくると同時にガチなところも(コッソリかもしれないが)残っていくのだと思う。この流れを見る限り、少なくとも電気街化して以降のアキバは、それからずーっとオタクの街であり続けている…というのがヲイラの持論なのよね。

ここ最近とか10年程度の過去を見て「オタクに乗っ取られた」とか言うのは愚の骨頂やし、一方でそういったメイドカフェ的な産業が変遷しているのを見て退屈だとか死んだとか言うのも愚の骨頂だとヲイラは思う。そんなコトを言うヒマがあったら、これから残っていくと思われるガチなお店を探訪し、その記事を書くのが筋だろうよ。

以上

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
カテゴリー: 日常, 書き物 パーマリンク