MacOS Xに対する私のスタンス

2002/Nov./27

update 2003/Feb./22



何度かくり返されてきたUI論議が面倒になったので、自分のスタンスに関してココに記述する事にしました。何度も同じ事を書くのは面倒だし、リソースと時間の無駄遣いでしかありません。

もちろん、ココに書いてある内容は書いた当時の認識と実体に基づいているものなので、将来に渡って一切変更する気がないなんて事はないし、また、一時的に実体と合わない事もありうるという事はご承知おき願いたいと思います。できるだけその時その時に即して書き直していくつもりです。

また、ここでは個別の案件を全部書くつもりはありません。できるだけスタンスという観点から書く事にします。個別の案件を書いていくと、本当にキリがなくなるからです。それぐらい、MacOS Xは悲惨な状況にあると考えています。

長いけど、もしなにか批評されるのであれば最後まで読んでからにしてくださいね。時々、斜読みで文句をおっしゃる方がいるので.....


最近、歩道橋のある交差点での歩行者の事故が多いといいます。先日もニュースで国道43号線のとある交差点の事を報道していました。その交差点は、片側三車線の幅の広い道路を渡る形で歩道橋が設置されています。しかし、そこで歩行者と車の事故が多発しているのだそうです。

主に事故に合うのはお年寄りが多いそうです。なぜなら、お年寄りは歩道橋を登る事が大変なため、つい車道を歩いて渡ろうとしてしまうからだそうです。

一部の交差点では、歩道橋にエレベータを設置して昇り降りの負担を減らす取り組みをしているケースもあるようですが、まだ全国に広まっているわけではないそうです。まぁ、事実上全ての歩道橋にエレベータが付くとは考えにくいですしね。

でも、良く考えればそもそもエレベータを設置するというのは本末転倒のように感じます。というのは、元々動力の付いている自動車に平坦な道を行かせ、なにも動力のない歩行者に歩道橋を行かせるという構図そのものが間違っているのではないかと思うからです。

つまり、本来あるべき姿は歩行者が平坦な道を行き、自動車がその上か下かを行くのが正しい姿なのではないでしょうか。自動車は動力があるのですから、坂を登り降りすることはなんでもないハズです。歩道橋とは、一見歩行者保護のための仕組みであるように見えますが、実際は自動車を優先させる仕組みに過ぎないのですね。


今のMacOS Xを見て思う事は、いろいろな意味で上記の歩道橋のような状態ではないのかという事です。

OS内部にUnixが使われている事はすでに有名かと思いますが、未だにUnixの都合が優先され、ユーザーの都合が軽視されていると感じる場面も少なくありません。Finderではユーザーは基本的に内部的なディレクトリパスなど意識する必要は全くなかったのに、カラムビューという形でパスをビジュアル的に意識させられる事になっています。

しかも、かろうじて申し訳程度に実装されているアイコンビューは全く不完全で、位置情報を忘れたり、やたらとアイコン間隔が広かったり、同じアイコンが複数のウインドウに見えたりと、これまでのアイコンの常識をことごとく破ってしまっています。

また、それをとりまくユーザーにしても、ユーザーの一部には自分の都合ばかり考え、他のユーザーの都合を全く考えようとしなかったりするのが露骨に表れるケースまで見受けられます。この傾向は以前からMacをメインで使ってきたのではない人達に多いように思います。

パワーユーザーはいくらでも自分の好きに環境を改変できるのですから、Macのデフォルトのインストールは初心者に合わせてあるべきだというのはこれまでのMacOSのコミュニティでは半ば常識だったと思います。しかし、最近は自分に都合の良い方向ばかりを追い求めるパワーユーザーが(恐らくは他のOSのユーザーから)流入してきて、これまでのMacOSの文化を破壊している感じがします。

現状のMacOS Xでは、初心者には全く不要なもの(ターミナルとかネットワーク関連のツールとか)まで一緒にバンドルされ、アプリケーションフォルダの中を覗くのもオッカナビックリになってはいないでしょうか。かつての、気軽に触る事のできたMacOSは、どこへ行ってしまったのでしょうか。


かつてのMacOS 9までの世界ではこのサジ加減が実に絶妙で、デフォルトは初心者に非常に優しく、しかも手を入れればパワーユーザーの希望に応えられるようになっていました。それこそが、Macは使いやすいというイメージを広める元だったし、実際にも使いやすいものだったと考えています。

パワーユーザーの使いやすい形がデフォルトになっている今のMacOS Xは、この原則を完全に無視した形になってしまっていると思います。内部的によりパワーユーザー向けの構造が採用される事はなんら問題ではないし、むしろさらなる機能アップを考えればそれは当然の事と思います。しかし、デフォルトで見えている部分までパワーユーザー向けになってしまったら、これまで使いやすいと言って買ってきた一般ユーザーは今後何を買えば良いのでしょうか。

デフォルトのセッティングが初心者向けならインストール作業が増えて企業管理者が面倒なので困るという意見がありました。しかし、ハッキリ言えばそんな事を言う管理者はとっとと辞めてしまえと思います。仕事で仕事用のマシンを管理するのに、デフォルトの内容をきちんとチェックせずにそのまま使うなんてコトをやってるようなのがプロだとワタシは思いたくありません。メーカーのデフォルトなんていつどう変更されるかもわからないのに。


MacOS Xが出たところで、今使っているMacOS 9が消えるわけでもなければ、動かなくなるわけでもないと言う人達がいます。MacOS Xに不満があるなら、今使っているものをそのまま使っていればイイという人達がいます。

しかし、Macとて消費財です。いつかは消耗するし壊れます。いつか必ず新しいマシンが必要になってきます。しかも、そこにはMacの名を冠した製品が存在します。当然、これまでMacOS 9なりそれ以前のOSを使ってきたユーザーは、同じMacの名を冠したマシンを買い求めるでしょう。そうして買った結果得られたものが今のMacOS Xしか走らないマシンなら.....あまりの違いにニセモノと思うかもしれませんね。

結局、不満があるなら買うな使うなというのは強者の論理ではないでしょうか。MacOS Xに移行できる人がこのような事を言うのは、移行できないでいる人に対する侮辱でしかないとワタシは思います。

とうとう、メインはMacOS 9での起動ができないマシンになってしまいました。しかし、これまでのアップルを支えてきたのは、こういうMacOS 9以前のマシンを買って使ってきた人達のハズです。そんな人達がスムーズに移行できないような製品を出しておいて、旧バージョンの未来をこんなにすぐにも止めてしまうのは暴挙以外のなにものでもないのではないでしょうか。

伝え聞くところでは、一部のお店ではMacOS Xしか動かない事を理由に購入を控えるお客さんがいるそうですね。やはりなと思います。


アップルはこれまで、本当にユーザーの側に立った素晴らしい製品を作ってきたと思っています。画面に見える一挙一動に気を配り、デフォルトの設定はできるだけ問題の発生しない方向にセットし、何かあればきちんと警告を出したりしていたと思います。

しかし、今のMacOS Xにはそういうキメ細やかさが全く感じられません。あまりに荒削りで大雑把でしかありません。いつまでもこのような状況を続けるのであれば、もう「使い安さ」に関する看板は降ろしたらどうでしょうか?いつまでも、看板だけは過去(MacOS 9以前)の使いやすさをウリにして、あのような紛い物のUIを搭載したMacOS Xが販売されるのは到底容認できるものではないと考えます。

「いつかはよくなる」ではダメなのです。ユーザーは「今、マトモなものが使いたい」のです。ユーザーはアップルの実験台ではありません。マトモなものが使えないなら、まだ当分の間はMacOS 9での起動ぐらいはできるようにしておいてもらいたいと思います。


MacOS XのベースはDarwinです。これは紛れもなくUnixです。それは誰も疑いのない事でしょう。これまでのマイクロカーネルからUnixをベースに据えた事自体は、私は良いとも悪いとも感じません。強いて言えば、Darwinの一部であるIOKitは良くできていて、まだ多少バグはあるもののデバイス管理のコンセプトとしては悪くないと考えているぐらいです。

当然、ベースがUnixですから、MacOS XとしてもUnixとしての切り口があり、そういう使い方も自由にできるようになっています。そのため、これまでUnixばかり扱ってきた方もMacOS Xに注目されているケースが多いようです。念のために書きますが、ワタシはこれ自体は実に喜ばしい事だと思っています。もっといろんな人にMacを使ってほしいと常日ごろ思っていたからです。

しかし、そういう方にお願いしたい事があります。それは、

「Unixの流儀をMacOS XのUIの中に持ち込もうとするのは止めてほしい」

という事です。元々、Macは

「使って天国、作って地獄」

と言われてきました。これは別に開発環境が面倒で作るのが地獄だったのではなく、ユーザーに「使って天国」と言ってもらうための裏方的努力の量がハンパではなかったという事を示していると考えています。もちろん、その努力にはUIを考えたりする事も含まれます。

しかし、いわゆるUnix的な文化が流入し、コマンドラインで実行するようなアプリが増えしまうと、「使って天国」を維持する事が難しくなってくるように感じます。まるで「作って天国、使って地獄」のようです。ユーザーにコマンドラインのコマンドを入力させるような事は絶対に避けなければならないと考えます。そのためには、少なくともUIに関してはUnix的な文化をやめ、きちんどMacOS Xの上で作動するようなUIを持つアプリを作るようにして頂きたいと思います。


最後に、勘違いしないでもらいたいので念のために書きますが、以上の文章は、決してMacOS 9に留まる事を期待しているわけではありません。ゆくゆくは次世代OSへ移行すべきであると思いますし、それが MacOS Xという名前ならそれに移行して行くのが当然だと思います。

しかし、人間には慣れというものがあります。少なくともこれまでMacOS 9を使ってきたユーザーにとって違和感の多いUIでは困りますし、また、過去を見ないにしても統一性や直交性のないUIでは困ります。現状のMacOS Xは、この辺の事をもう一度考え直す必要があるのではないでしょうか。

考えるのが難しいというのであれば、一旦UIのみMacOS 9の仕様に戻す事を考えてもらいたいと思います。新しいUIはそこから始めなおせばイイハズです。今のような中途半端なUIは、ユーザーの混乱を招くだけだと思います。


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