デジタルとアナログの境界線

2004/Apr./19



およそ多くの場合、デジタルとは離散的な値、アナログとは連続的な値と定義付けられていると思います。これを普通の事と受け止めてらっしゃる方はかなり多いかと思います。

いきなり質問から始まりますが、長針と短針のある針式の、いわゆる昔ながらの時計はデジタルでしょうか、アナログでしょうか。多くの方はあれを「アナログ時計」と表現すると思います。ヘタをすると辞書なんかにもそういうのを例にしているものがあるかもしれません。

しかし、私はそれに大きな違和感を感じています。なぜなら、確かに針で時間を幾何学的に表示してはいますが、その値は常に離散的であるからです。例えば駅の針時計は秒針がないことが多いですが、その長針がガコンと動くまでは以前の時間を示しており、動いて初めてその瞬間の時間を表示していますよね。これはまさしく離散的な値ではないでしょうか。

秒針のある時計にしても、その進みには一定の間隔(1秒だったり0.5秒だったりしますが)があり、一見連続的に動いているように見えても、実際には離散的な値を取っているわけです。昔から針時計にはテンプと言われる部品があり、これで針を正確に一コマずつ進めるような構造になっていたわけですから当然離散的になります。

では次の質問です。これは最近デジタル関係の著作権に絡む話として見かけた例題です。ある有名な絵がそこにあるとして、それをデジカメで撮影したとします。そして、その写真全面にモザイクをかけることにしました。

さて、ではどれだけの荒さのモザイクをかけたら、それは元の絵と認識されなくなるのでしょうか。究極に荒いモザイクとは、つまり真っ白とか真っ茶とか、全面単色になる事だと思います。昔のテレビ番組ではないですが、16分割ならOKなのでしょうか、32分割ではどうですか?

また、逆にどれだけの細やかさ以上になれば、元の絵と認識されるのでしょうか。そして、その延長線として、技術が進化してデジカメが分子レベルのサイズの色まで撮影できるような解像度を持った時、その撮影された写真はデジタルでしょうか、アナログでしょうか。

こう考えてくると、今までアナログだと思っていたものが実はデジタルだったなんて話が結構ありそうな気がしてきませんか?もしかしたら、世の中にアナログなんてものは存在しなくて、全てデジタルだったのかもしれませんよ。

でも、ちょっと待ってください。いわゆる「デジタル」という言葉がこのように広まるまでは、そもそも世の中はすべてアナログというコトで動いてきたのではないでしょうか。別の言い方をすれば、デジタルという概念が存在して、初めてそれまでの事象がアナログという概念に括られたのではなかったでしょうか。

もうお気付きだと思いますが、デジタルとアナログの境界線というのは、値が離散的か連続的かではなく、

それを見る人がそれを離散的に捉えるか連続的に捉えるか

にあるのではないでしょうか。世の中の事象はデジタルかアナログかという二元論そのものがデジタルの事しか考えていない離散的な考え方であり、すべての事象はデジタルでありアナログであるというのがわかりやすい姿なのではないかと、そう思うわけです。

そして、この事は普段のいろんなシーンにも案外当てはまるんじゃないかという気がしているのですが.....私の気のせいでしょうかね。


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