桝谷英哉氏に捧ぐ

2001/Feb./04



ちょっと気紛れに、とあるマイナーなオーディオアンプのユーザーのWebページを久しぶりに読んで愕然となった。訃報の報告が掲載されていた。

亡くなられたのは桝谷英哉氏という翁。昨年の12/1に亡くなられたそうで、享年75歳。私のプロフィールにも書いてあるクリスキットの設計者にして、販売元であるクリスコーポレーションの社長でもあった。つまり、自分で設計した品物を自分で売っていた人物である。

#氏は「先生」呼ばわりされるのを嫌われていたようなので、以下「彼」と書く事にする。

彼の会社はこの神戸市にある。あの大地震の後でもピンピンされていたと、東急ハンズ三ノ宮店のオーディオコーナー(実はココは、彼の製品が展示販売されている数少ない場所なのだ)の担当者の方に聞いていたのだが、非常に残念な事だ。


彼のブランド「クリスキット」は、オーディオのブランドである。基本的にはオーディオアンプを販売しているが、恐らくそれを知る人はかなり少ないだろう。私がそれを最初にその存在を知ったのは中学生の頃だった。「ラジオの製作」という子ども向けの雑誌に紹介されていたのを覚えている。しかし、本格的にその中身に注目したのは高専時代になってからであった。

彼の設計したアンプは、今これを書いている間も、プリ/メイン共々私の部屋で鳴っている。その回路は、言うなれば基本に忠実な、シンプルイズベストの王道を行くものだ。その無駄を排する考え方には、かなりの共感を覚えたものだ。

彼の無駄の排除たるや生半可なものではない。なんせ、プリアンプには電源関係の他にはボリュームとセレクタスイッチ程度しか付いておらず、ヘッドホン端子はおろか、よくあるトーンコントロールすらないのだ。わずかに夜間/小口径スピーカ用のローブーストがあるが、彼自身「これは本来不要なので、必要のない人は配線するな」というぐらいである。パワーアンプなんて電源関係の他は信号端子だけである。

そしてその性能はというと、たった20cmのフルレンジスピーカでパンチのあるジャズを聞かせてくれる。クラッシックでも最近の歌謡曲でも全然問題がない。ベースやキックのズシリとくる感触が心地よいのだ。


故人に失礼かもしれないが、彼はある意味、非常に偏屈な人物ではなかっただろうかとも思う。なんせ、それでなくても最近低迷が続くオーディオ業界において、自分の考えに基づいて自分の使いたいアンプを設計し、それと同じものを製作するためのパーツセット(なぜキットでないのかは後述)を販売するという事をかれこれ30年近く続けてきたという経歴の持ち主だからだ。

#モデルチェンジした時にはアップグレード用の部品も出していたとも聞いている。
#かつてどこかにそんなコンピュータメーカーがあったなぁ.....

しかも、その広告はわずかに雑誌「レコード芸術」の偶数月に1ページしか掲載されない。(だから今ようやく訃報の記事が出たというわけで....)ほとんどのオーディオマニアはいわゆるオーディオ誌しか読まないだろうから、彼のブランドを知る人は非常に少ないと思う。販売優先なら、こんな手法は絶対に使わないハズだ。

#それでもかつては少しは一般オーディオ誌にも載せていたが、これも無駄と判断されたようだ

さらに、販売しているのは彼曰く「パーツセット」。つまり、いわゆるキットのような懇切丁寧なマニュアルはなく、あるのはケースも含めた完成品に必要な全ての部品と回路図と、彼自身の撮影による配線の参考写真が20枚ぐらい。基本的に電子工作に慣れた人でなければ絶対に組めないシロモノだ。しかしその価格は、いわゆる高級オーディオアンプならばキットですら何十万円とするモノが多い中、プリアンプもメインアンプも5万円程度の値段である。

おまけにラインアップもプリアンプのMark-8D(以前はMark-8だったが、CD時代になってフォノイコライザを取り外してしまったモデル)、パワーアンプのP-35III、チャンネルデバイダのCDV-202のみ。他にスピーカの箱が大小二種類とホーンスピーカーのホーン(いずれもパーツセット)ぐらいなものである。いわゆる「バリエーション」は無駄というわけだ。かつてはそれでも小さな入門者用のキット(確か、元々ベッドサイド用に製作されたものだったように思う)もあったのだが、今ではもうそれもやっていない。


このように、恐らく世間一般の目から見れば偏屈者と思われそうな彼なのだが、しかし、私は彼の言動から多くのモノを得たような気がする。

効率優先、収益優先の企業が見たら目を剥くような世界がそこにある。しかも職人ぶらず、おごらず、価格も可能な限り安価。これを30年間続けてきたということ自体、感服するしかない。

私の認識では、彼の考え方は要約すれば「自分の目で見ろ」「自分の頭で考えろ」という事ではなかったかと思う。オーディオに限らず、雑誌の提灯記事に踊らされ、金を湯水のごとく注ぎ込み、それでも満足できなくてさらに遍歴を重ねるような人を叱りつける記事が多かったように思うのだ。

売らんかなで彩られたカタログの文句に溺れ、みんなと同じものを買い漁るしか能のない人。逆に、なにがなんでも他人と違うものだけを欲し、そのためには湯水のように金を注ぎ込んでこれでよしとしている人。最高と言われているものさえあれば問題はないと思っている人。こういう人達を、彼は叱っていたように思う。

思えば私も、学生時代には山のようにカタログを背負い込んでは悦に入っていた時期があった。やたらとモデル名やメーカー名に詳しくなり、何でも知ってる生き字引になろうと努力していたように思う。今思えば恥ずかしい限りだ。

物事の本質はなにか、物事はなぜそのようになっているのかといった追求をする目を持たない場合、あとは他人の言葉に翻弄されるしかない。いつまでも続く無限地獄に落ち、結論の出ないままに彷徨うしかない。

この馬鹿らしさを教えてくれたのが彼だったように思う。自分で考え自分で判断するという至極当たり前の事ができていなかった自分というものに気付かせてくれたのが彼だったと思うのだ。

また、無闇に「良いもの」を探すのではなく、「悪いもの」を排除していけば、自然とそれは良いものになっていくというそのアプローチ方法は、今では私の物事の考え方の基本になっている。

もちろん自分で考え、自分で判断するということは、それなりに責任とリスクを伴う。時には失敗して大金を失うかもしれない。しかし、それをしないで安易な道を歩むよりもずっと世の中を楽しめるだろう。彼のクリスキットという存在自身もまた、それを教えてくれているように思う。


今頃きっと彼は、急に見通しが良くなった川のむこうで、「ああまたこんな事やってる奴がいる」とか思っているのかもしれない。彼に叱られないようにやっていきたいものだ。

合掌


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