標茶町営軌道 その1
updated 2002/Aug./14
2001/Aug./18 記録
2001/Aug./23 一部更新
2002/Aug./14 一部再編集
今回は、まず現地の郷土資料館にお邪魔して、当時の資料を閲覧させてもらう所から始めました。とりあえず、駅前周辺に関する資料でもあればなぁとの軽い気持ちでした.....が(^_^;)、そこにあったのは写真こそ少ないものの、各種の報告資料に入っている多くの情報でした。おまけに、それまで全然知りませんでしたが、ここには馬鉄(馬がトロッコを引くモノ)まであったそうで、しかもその路線跡が資料館の裏手にも(^_^;)。
で、資料館の学芸員の方に連れていってもらって撮影してきたのがコレです。
ちょっとわかりにくいですが、左右に比べてまん中の植物の生育が異なる部分(植生が異なると言うそうです)があります。これが塘路から阿歴内への馬鉄の跡なんだそうです。しかも、ここの資料館で見せて頂いた資料には、それこそ網の目のように馬鉄が道東にはり巡らされていた事を示す図があって、呆然としてしまいました。う〜む、奥が深い.....。
さて、本題の標茶町営軌道なんですが.....。実は残念ながら車両の類いが残っている所はすでにないそうです。もしかしたらどこかのお宅か会社の倉庫にでもなっているのかもしれませんが、さすがにその時点ではそこまでは捜し出せませんでした。
とりあえず標茶市街地まで戻り、そこで見つけたものを写真に納めてきました。
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国道の交差点で見つけた謎の構造物。近付いて良く見ると.... |
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なんか、異様に細いレールを使って作られている事がわかりますね。これ、もしかして当時のレールを使って作られたものなのでしょうか? |
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橋自体を撮影するのをすっかり忘れてたのですが(^_^;)、資料館で見せて頂いた俳句誌「菱の実11月号(通算274号)」に記載されている「風雲橋」から国道までの風景。誌によれば、これが元の軌道の鉄橋だったそうです。まん中に小さく写っているのが橋です。いかにもな跡ですね。 |
というわけで、残念ながらすでに標茶町では当時を偲べるものはちょっと見つかりにくくなってしまっているようです。
ただ後日、小樽交通記念館へ行ったところ、なんとそこには当時の開運町始発の硬券切符や、上御卒別の写真等が展示されていました。
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なぜか切符の実物が標茶ではなく小樽に.... |
できる事ならば、標茶町の郷土資料館にもこれらのような展示がなされるようになることをお祈りします。
なお、当日郷土資料館にて多数の資料を検索して頂いた丸山学芸員さんに、深く御礼申し上げます。来年はもう少し勉強してから参りますので、懲りずにまたよろしくお願いしますm(_
_)m。
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