昨今の生成AIにまつわるお話を眺めてなんやが…
昔から「メモを書くな」と言われるコトが稀にあった。大抵は機密情報だったり超重要情報だったりで、アタマの中にだけ入れておくなら教えておく…といった感じの情報の伝達の時に使われた方法やな。
口伝の類もそういうコト。なんでもかんでも書類化することが是とは限らんのよ。
ましてや、他人が伝えてくれた情報を「ロクに前後も考えず勝手に書類化(ネットに書くのも同じ)するコトの是非」って奴を理解できないような人には、本当に大事な情報は与えられないもんや。
昨今の生成AIの使われ方を見てると、この辺がかなり疎かになってるとしか思えん人を多数見かけるわな。
オープンだから全て是で、クローズなモンは全て非といった単純思考しかできない輩の増加は本当に残念でならん。
無論、何でもかんでもクローズにするのもまた間違ってるコトで、全ては「過ぎたるは及ばざるが如し」なんよ。その匙加減を自分で判断できるか否かが大事であってな。
ただ、昨今の生成AI関係(特に肯定論)を見ていると、相手には散々オープンを強要しておいて、自分たちはクローズでシメシメといった「更にロクでもない連中」を観測するワケで、そんな連中を産み出してしまった技術って本当に人類に資するものなんか?としか思えなくなってきてるわな。
「技術に功罪はない」ってのは確かに正しいとは思う。だけどね、それを野に放つか否かは人間の判断であり、その判断には功罪があると思うんや。ソコをゴッチャにして「功罪はない」とは、ヲイラには言えんなぁ。
ましてや、それが「生成AIの発展のために」とか言われると「なんでオマエの利益のために周囲が損せなアカンねん?」としか言えんよ。勝手に社会を自分たちのモルモットにするんぢゃねーよ…としかね。
この辺のモヤモヤが生成AI反対派の根っこにあるとヲイラは思ってるし、それには全面的に同意やな。