とはいえ、独りよがりで良いってワケでもないが…。
どうにもこう、昔から「キラキラと群れてる人たち」ってのが苦手で、この苦手意識は実は今でも結構あったりする。
というのも、そういう人たちがヤラカす「無意識の差別や見下し」を散々見てきたし、その薄っぺらさ(=流行を追いかけるばかりで、何かを突き詰めてみるといった行動が見られない)が気持ち悪いから。そこに主体なんてものはなくただ群れるだけであり、自分の行動は周囲との距離感に起因するものが大半で、本人が自発的に始めたコトなんて見られない上に、そういう自発的なものは群からの逸脱を恐れてむしろ自制してる雰囲気さえ見える。まぁ、ヲイラみたいなのが割り込めば、ほぼ確実に追い出されますわな。
学生時代に松本零士御大の作品に毒された影響か、学生の頃から可能な限りの独立独歩で行こうと思っていたし、今も思っている。それは会社員の間も同じだった。社会に出て早いタイミングで単車に乗って遠出するようになってから、更にそれは強まったとも言える。
会社員の頃に「どうせ独立した個人事業主の感覚などわかるまい」とか言われたコトもあったし、その段階では実際会社員だったので特に反論もしなかったけど、そう言ってた人はどうも今はどっかの会社員らしく、逆にヲイラは個人事業主だったりする。でも別段、ヲイラのマインドは何も変わっていない。なぜなら、会社員の頃から内面では常に独立独歩だったから。まぁ、会社に隠れて副業とかやってた時期もあったしな。
リファレンスって言葉がある。日本語なら基準とか基準点って言うのかな。何かを判断する時に、その基準となる情報なりモノなりが無ければ、その判断は簡単に揺らいでしまう。ゴム紐で出来た物差しなど、なんの役にも立たない。ましてや、その物差しを他人に依存してれば、そこに自分というモンなんか何もないってコトになる。
やがて、そもそもモノを量るって行為自体も忘れ、他人の傾向に依存するだけの人が出来上がる…こういうのが、それでも自分の自尊心を満たそうとすると、キラキラするしかないんやろな…と、ヲイラには見えている。だから気持ち悪いねん。
プロスポーツ…特にプロ野球とかって、この「キラキラと群れる人たち」を量産する効果があるんとチャウか?ってヲイラは疑ってる。無論、「同じスポーツをやる人が、そのなかでプロに注目する」というカタチを否定する気は全くない。が、多くの人達はそうではなく、単に溜飲下げの道具としてしか見ていないように見える。キラキラと群れてる中でもストレスはあるのだろうけど、そういうのを解消する道具になってる上に、ソレ自体がまた一つの依存元になって、独立的なマインドを潰すための装置になってるように見えるのな。
ヲイラも幼少期に親父に連れられて甲子園球場とか行ったし、危うくそんなキラキラマインドに飲み込まれそうにもなってたと今ではわかる。が、当時はそんなコト全く考えもしなかった。言われるがままに付いていって、そのうち自分でも連れて行けと言うようになってゆくのは、順調に染められていってたんやろなと今ではわかるんや。幸い、その後先の松本御大の作品群に打撃を喰らい、目が覚めたけど。
で、そんなのは孤立ではないか?という問いが来ると思うのだけど、実はそんなコトはない…というコトに気づけたのは、先の単車旅のおかげかな。旅先での一期一会な会話のやり取りはお互いの独立を基本に置いて行われるモンやった。仕事においてもキチンと独立したマインドを持ってる人は会社を超えて横のつながりを作っていたりする。まぁ、キラキラと群れてる連中もいたし、その見分けは難しいとは思うけど。
こういう横のつながりにおける唯一とも言って良いルールは、「誠実であること」かな。媚びもなければ強がりもなく、ただ誠実であることだけが大事なんやと思う。そして、それは実は独立的なマインドを持っていないと難しい。
だって、何が誠実なのか?って問いに簡単に答えるコトはできないから。媚びとか強がりなら簡単やけどな。なので、自分で思う精一杯をやるしかない。で、それは自分の中に基準を持たないと、無限に暴走して結局は媚びか強がりに陥るんよな。なので、独立したマインドが必要なんやと思う。
そうやって維持している人間関係ってのは、疎密で言えば疎ではあるけど案外強い。本当に困った時には手を差し伸べてくれる場合もあるし、逆にコッチから手を差し伸べる場合もある。これも独立したマインドがないと難しいコトやな。でないと、迂闊に手を出して一緒にそのまま転げ落ちたりもするし。
きちんと独立したマインドを持ち、媚びるわけでも強がるわけでもなく生きていられるのがヲイラの理想やし、可能な限りそうしてきた。多分、これからもそうしていく。棺桶に入る頃には総決算…いやいや、その段階でもまだ試行錯誤してるやろな。でも、気分的には晴れ晴れとしていられる。
ヲイラのオススメってのはこんな感じやな。