「二足のわらじ」なんか否定せなアカンよな

なんか、働き方改革云々って奴で副業の話がでて、今朝のラジオでもその話題が出ていたので、それを元に、ちょっととりとめのないコトではあるが、書いてみる。

まず大前提なんだが、憲法上の職業選択の自由において、また、会社が就業規則で縛ることが可能なのはお金を出して拘束している時間(=就業時間)だけという理由で、会社は従業員に対し業務時間外の就業を禁止できない。個人の自由な時間に対する束縛を行うならお金を払わねばならないし、就業時間は上限が決まっているし、なにより憲法違反だ。

学校の校則でも同様の傾向が見られる(三ナイとかその典型だわな)が、法律や憲法で認められているコトを、勝手に私的な契約で制限することはできない。そういった契約は、たとえ書いてあっても無効になる。この大原則をわかっていないボンクラな経営者(会社にしても、学校にしても)が多すぎる。ハッキリ言えば、そんな経営者はさっさと辞めろとさえ思う。

ちょっと調べてみたけど、判例的にも敵対関係のある会社へ副業しに行くとか、能力以上に仕事を受けて疎かになった等の問題でもない限り、会社側が負けているそうな。

ちなみに、今は政府が副業の解禁を煽っているが、あれは単なるポーズであって全然本気ではないよな。だって、本気なら労働基準法あたりに罰則付きで条文を追加するハズだよ。「副業の禁止は禁止」って感じでね。

で、ここで書きたいのは実はそのことではない。タイトルにした「二足のわらじ」という言葉を否定したくて書いている。副業という概念そのものを否定したいのだ。

勘違いしないでもらいたいのは、一つの会社でずっと仕事してろって意味ではない…というコト。「副」業という概念を否定したい…と書けば通じるだろうか。

 

昔からこの地方では、「道」という概念が妙に尊ばれる。実際の道のコトではない。剣道、柔道といった類の「道」だ。その言葉の裏には

「一つの道を極めることこそ至高。雑多なコトをやっているウチは青二才」

という意味が隠れている。つまり、何か一つのコトに打ち込むコトだけが素晴らしいのであって、あれこれ摘み食いしてるようなのは雑魚ってコトだ。

ヲイラは、これに対してハッキリとこう言うコトにしている。

「テメェの能力不足をひけらかして、そんなに楽しいか?」

副業禁止をうたう経営者の大半は、自分のトコの仕事に専念してもらわねば困ると考えている。しかし、それしか出来ない者もいれば、そうではない者もいる。それを押し並べて同様にタガを嵌めるのは愚かという他ない。その経営者は、相手の能力を量る術すら持っていないというコトを自白しているようなものだ。

無論、あちこちに手を出して能力以上に仕事をし、それぞれの仕事が疎かになるのは個人として論外だ。しかし経営者から見れば、それは単純に「仕事が出来てない」という評価を下せばヨイだけのコト。当人のプライベートな時間まで縛る言い訳にはならない。ましてや求道精神をひけらかすに至っては何をか言わんや、である。

 

そして、こういった体質が全体を覆っているなら、この地域ではロボット…特にサービスロボットの進展は望めないな…とも思う。

工場で動くような、動く範囲を厳密に決められて、理想化された環境だけで動くのを前提としている産業用ロボットは、ある意味「道」を極めた先にあるだろう。様々な部品が研ぎ澄まされ、あるモノは限りなく高速に、あるモノは限りなくパワフルに動くコトを要求され、限定された環境の中でシッカリ動くコトを要求される。もちろん、メカの他にセンサ技術やファームウエアのアルゴリズムなどが統合された世界なのは間違いないが、あらゆる外乱をギリギリまで取り除かれた環境で動くコトを前提にされた、ある意味「おぼっちゃま、お嬢ちゃま」なロボット達だ。もちろん、これはこれで一つの成果として誇れるものではあるが、それが全てではないのよな。

翻ってサービスロボットを考える時、まず最初に問題になるのはその雑多な動作環境だろう。何一つとして理想なコトはないような場所で動くコトを要求される。どんな環境が来るのかなんて想定もできない。無論、可能な限りの想定をしておく事は悪くはないが、全てを想定するのはまず不可能だ。そんな状況でもできるだけ幅広く状況を想定し、あらかじめ実装しておくには何が必要か…開発者の幅広い経験に基づくしかないんぢゃなかろうか。それも、単に開発者としての経験だけではなく、全く違った環境における経験が多ければ多いほど、その想定は豊かになっていくハズだ。

こういう状況にあって、何も他の事をしたコトがなく、目の前のロボットだけをひたすら続ける人というのは、果たしてどこまでの成果があげられるだろうか…基礎技術的な部分とか、産業用ロボットの視点であれば素晴らしいモノが出来てくるとは思うが、サービスロボットとしては悲しい結果しか残らない気がするのは、ヲイラだけだろうか?目の前の仕事以外のコトをやってこそ切り開けるモンがあると、ヲイラは思うのだが。

下らない求道精神をブチこわし、様々な仕事をやって当然と言えるような社会にならないと、いつまで経ってもロクなサービスロボットはココからは出て来ない…そんな気がしてならない。

 

身近なロボットのコトで書いてみたが、実はロボットに限らず他の仕事の全般においても同様のコトが言えるケースが結構あるんぢゃないかと思う。もちろん趣味として全然違うコトをヤルというのでも構わないが、どうせならソレも仕事にしてしまって、より深く他のコトを知る方がヨイというのは自明だろう。その時、それを「二足のわらじ」という概念で捉えていたら…もしくは「副業」という概念で捉えていたら、結局は上辺しか見えてこないのではないだろうか。メインとサブではなく、全てメインとして考えるのが本来の姿ではないかと思うのだ。

つまり、どれが本業でどれが副業でなんてのは税制上の問題だけにして、自分としてはどれも本業だというのが正しい姿だとヲイラは思う。「二足のわらじ」ではなく、わらじは一足であり全ては自分だ…と書けば通じるかしら。

こう書くと、すぐに「だったら個人事業主でええやん」と言ってくるボンクラがいるのだが、日本の税制上は個人事業主はかなり面倒なコトになっているのだよ。ヲイラ的には働く人全員が確定申告をすべきと考えているが、現状は(色々バレないために?)そうさせないようにでもしているのか、個人事業主は様々な面で不利になるようにできている。ましてや、ピンハネ屋である派遣会社の派遣社員なんて論外だわな。

そして、そういう視点がスッポリ抜けてる昨今のナントカ改革なんて、なんの役にも立ってないわな…と思うのだ。

以上

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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