私は如何にしてフリー技術者になったのか その4

●プータローは考えた…そして引っ越しした

そんなワケで、たぶん人生初のプータローになった。それまでの転職は多くても一ヶ月程度の隙間しかなかったからね。次が何も決まっていない無職状態ってのも初めてだった。多少の蓄えはあったし、別に大きな不安はなかったかな。

既に有給休暇を全行使して会社には行ってなかったので、この時期はようやくプータローを満喫する気分になってきた頃。で、福知山の廃線跡散策とかいろいろ出かけてましたな。しばらく行くことも無かろうと思い、四国/九州ツーリングをしたりもしてた。たしか、高知の某カラクリ屋台うどん屋さんにヒョッコリ行ったのもこの頃。

同時に、新しいモンも覚えないとと思って3Dプリンタ買って色々やったのもこの頃やな。これが後でメッチャ効果が出たのには驚いたけど。無職になったからといって、学習を止めたらアカンのよ。お金かかるけどな。3D CAD自体はもうだいぶ前からずっと使ってたから、そこで作成したデータをプリントしては遊んでいた。

自分の技術力だけでどこまでできるんやろって思い、人生初の基板CADも導入して、元々自分が仕事で作っていたモンを自宅で再現する実験もやってみた。既に退職して久しくデータも当然存在しないので、イチから全部って感じやね。ファームもイチから全部開発しなおした。これが後で物凄いメリットになるとは、この時は思ってなかったけどな。

ヒトリモンでやっていくなら、自分がどんなモンを作れるのかを見せる必要があると思ったんよ。前職の製品なんか持ち歩いても仕方ないし、全部新規でやるしかないと思ったからね。だから、今でも展示会とかに行く時には、ポケットにそんな部品を入れてる。見せればヲイラが何をやれるのかがワカってもらえるからね。

当時、安い賃貸アパートから通っていたので、どうしても家賃を払い続ける必要があった。実家に戻ることも検討したが、戻ったところで新たな仕事があるとも思えなかった。なんせ49歳だからな。そんな話をSNS等に流していると、いくつかの反応があった。コッチ来て仕事せーへんか?って奴。いくつか頂戴したんやけど、全部関東だったんや。

元来、あんまり関東に住む気はなかった。やたら人が多くてゴミゴミしてるし。せやけど、既に50歳近いってコトで、この機会を逃せば今後関東に住む経験もなかなか無かろうって思うようになった。平均寿命もせいぜい80歳やし、親父は体調の問題もあって72歳で死んだ。ならば、この辺で一度ぐらい関東に住んでみてもエエかなって思ったんやな。

幸い、蓄えを見ると仕事なくても数年は生きていけるのが分かってたんで、まずは引っ越し計画を練るコトにした。家賃は当時と同じ月5万円程度、関東なら単車も実家から移動させたいんで、単車2台を隠して置ける場所が確保でき、かつクルマも置けること。ある程度は開けてて、日々の買い物に困らないこと…って感じかな。

ネットの不動産サイトを漁りまくり、数日かけて候補を絞った。で、夜行バスで移動して不動産屋を回り、現地の確認を進めたんよな。幸い、千葉の船橋の奥地にええとこを見つけたんで、ソコを契約するコトにした。家賃は5.5万円でアップやが、実は前のトコは家賃とは別に駐車場代として7000円払ってたんで、むしろ2000円のマイナス。なのに、以前は二階建ての賃貸アパートの一階だったのが、今度は一戸建てや。田舎万歳(笑)。

で、同時に引っ越しそのものの計画も立てた。引っ越し先へは荷物の他、単車2台とクルマ1台を移動させる予定だったんやが、単車の片方は実家にある上に、ガレージにコンセントがないと問題が発生する仕掛けを積んでいるので、これは後回しにした。

まずは小さい方の単車の移動から。宝塚の旧自宅を出発し、ひたすら自走した。んで、まずは不動産屋へ立ち寄って、鍵を受け取った。そのまま新しい自宅まで行ってガレージに単車を格納し、帰りは新幹線で戻った…さすがに100ccの単車なので下道で移動するしかなく、疲れが結構きてたからね。11月の箱根越えはナカナカのモンやったよ(笑)。静岡の国道1号線は125cc未満が通行禁止の自動車専用になって部分があって、結構大回りさせられたな。なので、沼津でネカフェに入り、翌日朝から箱根越えって感じやった。

そうそう、引越業者が宝塚の旧自宅アパートの荷物を確認しに来て色々見積もったんやが、その選択はなんと4トントラック(笑)。ひたすら段ボール箱に詰め込んだりして準備を進めたんやけど、確かに4トントラック満載になってたな…お見事(^_^;)。

その後、旧自宅アパートを明け渡し、今度はクルマで一路新自宅へ。途中、ヲイラの荷物を積んでるっぽいトラックを追い越したな(笑)。先に現地入りし、受け入れ準備をしてトラックの到着待った。新居はチと狭い道の先にあるせいで、そのまま4トントラックが入れないらしい。なので、表通りで受け渡しして2トントラックでウチの前までやってくることに…なぜか3往復してたんやけどね。

調子に乗って行き先シールとか自作して貼っておいたんで、割とサクサクと荷物の移動は完了した。とはいえ、ここから先は一人の作業。まずはバラしてあったハイベッドを組み立て、その下段の机にパソコン環境をセットアップした。

光回線はなぜか既に2回線引かれてて、どっちを契約するかって感じだったので、引っ越し前に速攻で契約しといた。会社員時代に覚えたSOHO用のルータを中古で確保して設置し、実家とVPN接続して実家のネット管理をコッチからできるようにもした。いずれバックアップサーバを実家に置く予定やしな。

その後、数百冊はある漫画や雑誌を本棚に詰めたり、台所の用品を並べたりして数日が経過していった。ネットが繋がるようになったので、SNSに引っ越ししましたって流したのもこの辺りか。

今から考えると、これって一種の異世界召喚かもしれんね(笑)。