[Essay] 目に見えないモンは怖くて当たり前とチャウんか?

なんかこう、毎回科学者や技術者が傲慢なコトを言ってるのを見かけるのでな…

放射線にしてもウイルスにしてもそうだけど、目に見えない異常に対する恐怖はあって当たり前で、むしろそれを否定したらアカンわな。でなけりゃ、予防接種なんて誰がするねん?ってコトになる。

従って、たとえそれが「現時点の科学において問題が見つかっていないコト」であっても、一般の人が恐怖を抱くのは当然であり、それを前提にして物事を進めるのが基本やとヲイラは思うんやがね。

どうしても科学者や技術者は、エビデンス云々を前提にして自前の論理(無論、それは科学としては現段階で正しいコトであっても…だ)を通そうとしたがるけど、いくら科学的に正しくても、それはまさに「心を忘れた科学」そのものぢゃないのかね。

「あまねく学習を広げ、正しい認識の元に正しく怖がろう」なんてのは、ぶっちゃけ科学者や技術者の傲慢そのものではないのだろうか。たとえば放射線やと、自然界にあるのと変わりないから大丈夫って物言いとか、傲慢そのものやで。

んで、科学が常に更新を繰り返して今に至っているように、今後今の知見がひっくり返されるコトを完全否定するコトはできないハズや。現時点で未検出の現象が存在する可能性を否定したら科学は終わりやし、そういう意味で「現段階の知見を以て状況を断言する」のは、それ自体が非科学的な行動そのものだろうよ。

毎回同じようなコトを書いてる気がするけど、科学者も技術者も、今一度人の心って奴をよく考えたらどうや?って思うで。安全と安心は別次元の話やけど、片方だけ成立してたらエエってワケではないんやから。

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
カテゴリー: 日常, 書き物 パーマリンク