私は如何にしてフリー技術者になったのか その5

●人生初の関東生活…そして急転直下な展開

まずは食い物ってコトで、近所のスーパーとか色々行ってみた。せやけど、意外なモンがなかったりして唖然としてた。土地柄の違いやな。パっと見でもワンタンメン、ポールウインナー、ぶっかけそうめんつゆ、ぼんち揚げ、おにぎりせんべいなんかが見当たらない。後で聞いたら同じ関東でも場所が違うと置いてあるもんが違うらしく、少し離れた別のスーパーとかまで遠征するようになった。こういう時、クルマがあると強い。

秋葉原へ新しい自宅から出かけてみて、その近さ…いや、言うほど近くもないんやが、関西から見れば…ね…にちょっと感動したりもしてたな。それまでなら閉店間際ぐらいまで粘ってアチコチ行って、遅めの新幹線なり夜行バスなりで帰っていってたのに、昼過ぎにもう秋葉原を離れるなんて「贅沢」なコトができるワケだから。そして、いくつかちょっとした頼まれ仕事も受けるようになった。

仕事の材料は秋葉原や八潮の店の他、ネット通販で買い揃え、基板は海外の業者にネット経由で依頼。部品の実装は手ハンダで済むものはそうしたけど、小さいモンはこれも業者に依頼って感じ。超小規模ながらも、設計開発試作までが手の内でできる状況を作っていった。

近所の地理感覚を掴むためにクルマでアチコチ出かけるようになってしばらく経過した頃、そういえばお世話になった会社がコッチにもいくつかあったなってコトで、挨拶しにそれらの会社を訪問するコトにした。会社によっては、色々と尋問^H^H質問…要は元いた会社がどうなったのか?みたいな話を聞かれるコトもあったなぁ。結構デカい会社なのに、役員クラスまでゾロゾロと出てきてさ。色々気になっていたのだろう(笑)。

そんな中、開発してた頃に世話になってたある会社を訪問した。前職で試験用の機材を用意してもらったりして、ある程度の面識があったトコやな。お店でもあるので特にアポも取らず、ふらりと訪れてみた。その時、残念ながらそこに直接面識のある社長はいらしてなかったのだけど、なんか妙な空気が流れた…

ん?って思ってると、「いいとこに来たね」と社長が慌てて戻ってきた。話を聞いてみると、なんと前職の会社のブランドや放置された製品を引き取り、事業として継続させようとしてるらしかった。

「な、なんだってぇ?」ってマジで思ったよ。

どうもなんか、既に当時の社員を探して回ってたらしいんだな。あの妙な空気は「キター」って感じだった模様。ヲイラはいち早く前職から消えた上にとっとと引っ越してしまったので、どうも消息が掴めなかったらしい…って、これってもしかして夏の虫?(笑)

聞くと、この段階で既に前職の会社は開店休業状態に陥っていたらしく、品物も金の動きもなくなってたらしい。コッチの会社の社長はだいぶ前から動いていたらしく、その状況を憂いて製品を継続生産すべく活動していたそうな。一応世界ブランドだったし、潰すのは勿体無いし、お客さんもいるしってコトやな。

色々お困りだったそうなので、簡単な契約をしてその仕事の一端を引き受けるコトにした。

ヲイラは当時の開発の継続のようなコトを自宅で作業するようになった。一人になった時に作っておいた資産が、こんなトコで役に立つとはねって感じ。なぜなら、既に前職の会社の設計情報は社内からも色々と消えてしまっていたらしいので、ヲイラが作った奴をライセンス形式で提供するコトにしたからだ。その他にも色々と依頼があったので、同時並行で作業する感じになり、今に至るってトコやな。

あ、そうそう。もちろん個人事業主として開業届を出し、屋号もキチンと定めた。自分の誕生日に出したので、誕生日が自分の屋号の周年でもあるのよな。50歳の誕生日に開業ですわ(笑)。