[Essay] 松本零士展で非常にモヤモヤしたお話

なんであの場所だったんだろう…

ちょっと他の用事もあったので、まだ少し旅疲れが残る中、松本零士展へ出向いてきました。

駅から会場の途中にもデカデカと。
よく頑張って製作されたと思うC62。ツッコミどころは多々あれど、多分この手の999の展示物では一番頑張って製作された奴ではないかしら。

展示されている原画の大半(多分8割ちかく)は、漫画作品の単行本として今も手元にストックしてあるものなのですが、あの絵がこう描かれてたのかとか、原画ならではの深みとか、色々感じ入る濃厚な時間でした。

なんせ、ヲイラの人生をかなりネジ曲げてくれた作家さんですからね。多分技術屋志向になったのもトチローの影響がかなり大きいワケで…それに、権力にドップリ浸かってヨシとしない/長いモノに巻かれる気が全くないって気概も、彼の作品から受けた大きな影響の一つやし。

ただ…開催場所がなぁ…六本木ヒルズってのがなぁ…いや、ヲイラ的に場違いな場所ってのもあるんやけど、松本御大の作品を知る者として、あの場所でやるのは色々考えるモンがあるなぁと…。

だって、「さらば銀河鉄道999」では廃墟になってるメガロポリスそのもののような建物であり地域なワケで、他にも「ヤマビコ13号」ではあんな感じの地域に住んでる女に騙された男が爆弾テロを起こす現場のようでもあり、オマケに道ゆくキラキラしたような連中のど真ん中にサルマタの怪人が主人公である「男おいどん」の原画でっせ。当然、サルマタが大量に描かれてて、しかもモノによってはカラーやし。

あの界隈の主役であろう今の若い衆には、そもそもサルマタ自体まったく知らない言葉であろうしなぁ…。おまけに、当時から現代に対する警鐘を行ってる作品がてんこ盛りあるワケで、正直な話、あの場所とは真逆の精神性を持った作品ばかりやと思うワケですよ。

四畳半系の作品を読む限り、松本御大の作品の根底の一つはああいった感じの「都会のキラキラした人たち」に対するコンプレックスがあるんだろうとヲイラは想像するワケで、それをあえて六本木ヒルズなんて場所でやろうとなった経緯には非常に興味があるワケですな。実はヲイラはコレがあそこへいく初めての機会だったので、余計にそう感じるのかもしれまへんが。

まぁ、そういう意味でヤマトや999だけで終わらせず、キチンと四畳半モノを展示してたのは素晴らしいとは思うのですが、アレの中身を解ってて展示してるのか、単なる歴史の一つとして展示してるのかは少々疑問ではあります。ヤマビコ13号も展示されてて「やべぇ」って思いましたが。

また、そういう意味で「さらば銀河鉄道999」に関しては何も触れられてなかった(年表の中だけ)のも少々気になるトコロではあります。狭いから入れなかったのか、あの廃墟のシーンに何か思うトコロでもあったのか…。

一方で、漫画の999から抜き出された作品はどれもまさに現代に対する警鐘になってる奴で、これらを選んだのはワカっててやってるのかな…とも思ったり…。

展示を見終わってフロアの外周に出てきた時、眼下に広がる光景に「ああこれ、完全に今ヲイラがいる場所は機械化人の居場所やな」と思えてしまい、なんともいえない気分でさっさと買うもんだけ買って退散するコトに。

この展示会が、ああ言った場所にいる人たちに対する一種の警鐘なのか、それとも単に鉄郎の母親の剥製がわりなのか、なんかその辺でモヤモヤが残る展示会でありました。

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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