[Essay] 多趣味ノススメ

ヲイラを知る人は、ヲイラが結構いろんな趣味を持っているコトに気づいている人もいると思うのだけど、これ、自分の安定のためには非常に重要なコトなのだと考えている。

何かが詰まった時、他の趣味に「逃げる」コトができるというのは、それだけで精神安定に良い効果があると思うんだよね。できるだけ異なる趣味の方がイイとは思うけど、ほんの少し違うだけでもかなり気分はラクになるし。

でも、いきなり何か他のコトをやれと言われても、「ぢゃあ、なにやればいいの?」ってなると思うので、ここではヲイラの趣味がどう変化して行ったのかを時系列で書いてみようと思う。何かの参考になればイイんだけど。無論、時代背景に密着した話になるので、今現在にそのまんま適用するのは無理というのは先に宣言しておく(笑)。

●全ての始まり

この世に生を受けてからの数年間、ヲイラは今の実家とは違う場所に住んでいた。そこは、真横を私鉄が走る古い文化住宅。毎朝毎晩、親と散歩に出ては電車を見る毎日。これで鉄道に染まった。たぶんこれが、ヲイラの最初の一歩。

古い写真には、かなり初期のプラレールの通勤電車(恐らく101系辺り)と一緒に写っているものがある。この辺から、ヲイラの趣味生活が始まっていると言っても過言ではないだろうね。ヲイラの趣味の原点…そして、その中でも鉄道趣味の原点はココにある。

●小学生の頃

ヲイラは当時かなりのマセガキで、好きな歌手(今で言うトコロのアイドル)は天地真理と山本リンダ。んで、当時発行されてた小学館の「小学○年生」な雑誌をワザと一年ズラして買ってた。つまり、自分が1年生の時には2年生の雑誌を買ってたのね。無論、付録目当てで。当時の付録は紙工作キットになってて、この付録で色々なモノを作るのが好きで、この辺が工作趣味の原点になっているんだと思う。

もう一つ、当時の「できるかな」というTV番組の影響もデカく、何かが欲しいと思ったら、自分で工作して手に入れるというのはココで学んだ気がする。今でも、のっぽさんはヲイラの神なのだ。

で、付録工作にも飽きてしまったヲイラは、たぶん小学2年生の頃、次に学研の「○年の科学」に手を出した。これも当然、一年ズラして(笑)。ここでヲイラは、豆電球等の電気系の世界に触れることができた。これが二つ目の要素だと思ってる。ゲルマラジオとかもやったな…まぁ土地柄の関係で、海を挟んだ目の前に送信所があるラジオ局の声しか聞こえないんだけど。電気いじり趣味の原点はこの辺りかな。

小学3年生とかの頃になると、鉄道模型にも手を出し始めて、プラレールを卒業してNゲージの世界へ入ろうとしてた…高くてなかなか買えなかったけどね。関水金属(今のKATO)の緻密な車両が好きだったな。

車両が手に入らないので、線路だけ買ってジオラマを作り始めてたのもこの頃か。一番最初は石膏ってものを知らなくて、壁塗り用の土(ただし、色は緑)を使って山とか作ってた。製作手法は、その手の専門書を買ってもらって参考にしてた。工作趣味の延長線上だけど、模型鉄の原点がココやな。

で、小学5年生の頃、盆休みに親の実家に帰省してる時に、近所のお店(確か本屋だった気がするが、定かでない)で奇妙なモノを見つけた…エレキットのお風呂ブザー(満水警報機)のキットなんだけど、「新幹線の発車ベルの音がする」というキャッチコピーにグっと来たんだな(笑)。

当時、エレキットは青い樹脂ケースに入ってて、蓋は透明で中身が見える形で販売されており、そのケース自体が電子回路のケースにもなってた。「新幹線の発車ベルの音」が欲しくてこれを買って、生まれて初めて半田ごてを握り、火傷しながら組み立てたのがヲイラの電子工作デビュー。電子工作趣味の原点がココやね。当然お風呂ブザーとしてのセンサー部はショートしてしまい、スイッチを入れればあの音が鳴る仕様になっていたのは言う間でもない。

●中学生の頃

すでに電子工作にハマりつつあったコトもあり、学研の科学では限界に来ていたので、「ラジオの製作」という雑誌を読み漁り始めてた。小学生の頃の友人の一人がすでに読んでいて、それに影響されたんだと思う。ちなみに、この雑誌は一旦廃刊になるけど、近年復活してる…そう、「電子工作マガジン」がそれ。しかも、当時と同じ方が編集長をされてるというね(^_^;)。

この雑誌の中身は、最近の電子工作マガジンと概ねノリは同じ。まぁ、当時はまだあんまりICチップの記事はなく、トランジスタとダイオード並べてなんかを作るってお話ばかりだったけどね。でも、掲載されてる回路を組んで、ワイヤレスマイクとか作ってた。

すでにアイドルは卒業(笑)し、ラジオはFMばかり、テレビではBest Hit USAとかを見て洋楽ばかり聞くようになり、当然再生環境を整備するようになって、オーディオにのめり込んで行った。オーディオ趣味の原点がこの辺りかな。ラジオの製作の記事を参考にしてアンプとかも作ってた…なかなかうまくいかなかったけど。

で、この「ラジオの製作」の付録で、ヲイラは三つ目の要素にであう。コレのおかげで、今のヲイラがあると言っても過言ではない。当時、付録の小冊子として、投稿プログラムばかりが集められたものが付いて来たんだ。この頃は世の中「第一次マイコンブーム」で、サラリーマンはマイコンとBASIC言語を扱えなければもう生きていけないとか平気で喧伝される時代だった。

念のために注釈すると、この当時「マイコン」と呼んでいたものは、今で言う所のパソコンに相当する。まぁ、当時も基板に半導体が並んだだけのものはあったけど、ソレはヲイラから見ればもう昔のコトで、マイコンと言えばチャンとしたケースに入ってディスプレイに表示される奴のコトだったんだ。

でも当時、マイコン一式揃えようと思うと軽く数十万円は掛かる。今と違ってまだ電車の初乗りも100円かそこらの頃と思えば、いかにデカい金額かがわかるよね。で、自然発生的になにが起きたのかというと、マイコンショップの店頭にあるデモ機で遊ぶってコトになった。当時は自分の身の回りしか知らなかったけど、後で全国的にそういうコトになっていたのだと知る。こういう一族のコトを「ナイコン族」という名前で呼ばれていたのを知るのも後の話。

ちなみに、なんでマイコンショップの場所が分かったのかというと、実は当時は電子部品ショップがマイコンショップを兼ねてるコトが多かったから。つまり、電子工作趣味の関係で電子部品ショップへ行くと、嫌でもマイコンが目に入ったという感じやった。

店頭で何をやっていたのかというと、先のオマケの小冊子に掲載されてるプログラムを打ち込んで動かす事。なぜなら、チャンと動けばゲームになるから。すでに当時、ゲームセンターでゲームをやる層は存在してて、しかも盛り場というコトで中学生の入場が禁じられたりしてた頃、ヲイラ達は「大人でさえも何に使うのかよく解らないマイコン」にゲームを打ち込んでは遊んでいたのだな。これがヲイラのコンピュータゲーム趣味の原点になった。

で、やってるウチに自分なりにゲームを改造したくなってきた。そこで、それまで呪文のように打ち込んでいたプログラムを自分で解釈し、必要な改造を施すようになっていった。これがプログラミング趣味の原点やな。なので、最初に扱った言語はBASIC言語ってコトになる。

ちなみに、その当時お世話になった小冊子は、その後独立した雑誌になる。「マイコンBASICマガジン」ってのがソレ。当時はオマケの小冊子だったんだよね。

でも、マイコンショップは一番近いところでも自宅から10キロ以上遠方で、放課後にそこまで自転車で走っていって、遊んで帰ったら当然親には怒られる時間。電車賃なんか持ってなかったからね。でも、マイコンを買ってもらうなんて夢のまた夢。悶々としてる時に、ある人から良いことを聞いた…この世の中には高等専門学校という区分の学校があって、そこではマイコンが使い放題なのだ…と。

その人は子ども会のボランティアをしてる人で、ヲイラも運営側に徐々に入っていってた頃で、一緒にキャンプとかにも良く行った。そこで会話する中で高専を教えてもらったんだけど、単純な話、その人自体が高専生だったんだな。これが高専にハマった原点かもしれん。

まるで機械の体を求めてどこかの星へ行くお話のようだけど、実際問題、実は当時は松本零士系のアニメにハマっていた。特に、蒸気機関車が出てくる「銀河鉄道999」にはズブハマりしてた。鉄道趣味からの分化とも言えるけど、まぁ、当時は割と流行っていたってのも大きい。

あの頃は部屋にメーテルのポスターを貼ったりしてたな。まだコミックを全部買うほどの財力はなかったけど、テレビは欠かさず見ていたし、映画にも行った。レコードも何枚か買ったっけ。かくして、ヲイラのアニメ/コミック趣味の原点ができたという感じ。

閑話休題、んでヲイラは、その未知の学校へ行くべく、それまで理科と技術以外は悲惨だった成績を上げ、高専に入るべく頑張るコトに…

●高専生の頃

なんとか無事合格し、高専生活を始めたんだけど、実は意外とマイコンは置いてないコトを知る。まぁ、先生の部屋へ行けばあったんだけど、先生もお使いになってたしね(^_^;)。

で、またしても悶々としてるトコロに、当時のメインの部活である電気工学実験部の顧問の先生から天の声が…「マイコン、自作したら?」…これが転機になった。

かくして数人がかりの分担のつもりでマイコン製作を開始しようとしたんだけど、なんだかんだあって結局自分一人で全部やるコトになった。とはいえ、高専のそれも一年生でどこまでできるかなんて未知数でしかないわな。

当時は既に「ラジオの製作」も卒業し、メインの雑誌は「トランジスタ技術」に変わってた。これの連載に、ちょうどいいタイミングでマイコン自作の話が出ていたので、それに乗じて作業を進めるコトにした。過去の記事とか図書館でコピーさせてもらったりしながらね。

で、あれこれやってたら、紆余曲折あったものの、とりあえず7セグのLEDと16進キーを備えたマイコンができちゃった(笑)。これは大きかったよね。これが、今やお仕事にもなっちゃってるマイコン趣味の原点になったんだな。当然、コンパイラはおろかアセンブラなんて高級なモンは使えなくて、手作業で機械語に翻訳してたけどね。

相変わらず当時のマイコンショップにも結構通ってて、さすがにプログラムをその場で打つことはなくなってたけど、いろんなモノを見た。その中に、音楽の自動演奏をやってるのがあった。ローランドのシステム100にマイコンが接続されて、YMOのライディーンとかが流れてたのな。これには物凄い衝撃を受けた。

だって、音楽の点数なんてボロボロで、楽器も一つもできないヲイラでも、これなら音楽を奏でるコトができるのだから。それに、そこにあるのは本物のシンセサイザーで、つまり音としてはホンモノなんだな。レコードとかで「再生」された音ではなく、ホンモノの楽器からホンモノの音が出ているワケだ。この衝撃はかなり大きかった。YMOを本気で聞くようになったのもこの頃。

と、同時にその頃はすでに鉄道方面も乗り鉄真っ盛りで、ちょうと「チャレンジ20000キロ」のキャンペーンもやってた事から、国鉄(そう、当時はまだJRぢゃなかった)で休みにあちこち出かけてた。

当然、カメラも持っていってた(写真を撮影しないとキャンペーンに応募できない)んだけど、親父のお下がりがどうも気に入らない。んで、当時の写真部の部員に相談して、いくつかの条件に適合するカメラを選んでもらった。当然、新品なんか買うお金がないので、売ってる中古屋も紹介してもらって。この時紹介してもらったのが、あの伝説のマツミヤカメラで、この時買ったのがニコンのF2だった。これは今も持ってるけど、使わないと調子が悪くなるので、若い衆に貸し出してる。これ以降、ヲイラはニコン派になってるなぁ。カメラ沼…というか、レンズ沼に最初にハマったのはココやね。なのでカメラ趣味の原点がここ。

で、まぁ色々あって高専も5年生になり、卒業研究としてマイクロマウスをやるコトになった。さすがに全部を担当するのは無理だったので、ソフト担当と二人三脚でプロトも含めて3機製作した。ココがヲイラのロボット趣味の原点かな。最初から自律ロボットだったんだよね、今から思うと(^_^;)。

で、この卒研をまとめるのにどうしても必要になり、中古のマイコンを一式買うコトになった。この時、あの衝撃の影響が出て、先輩が遊んでて面白そうだったAMDEK(今のローランドDG)のシンセサイザーも買ってしまい、ここで打ち込みにハマってしまったんだな。これが打ち込み趣味の原点になった。まだMIDIとか出るか出ないかぐらいの時代のお話やな。

なお、通学を1年生の後半から卒業するまでずーっと自転車で行ってたのだが、この頃はまだ流行り始めのマウンテンバイク(風)の自転車に乗ってた。一応、色々とメンテはしていたけど、案外部品がないもので、割と普通に乗ってた。でも、一応お店主催のツーリングには参加してたりしたから、ある意味これが自転車趣味の原点かもしれん。

●社会人になってから

ま、新入社員の頃は、時間もなくて趣味もロクでもない状況だった(でも、一応もがいてはいた)んだけど、落ち着いてくると色々な趣味が復活してきた。

コミックの方では、松本零士つながりで新谷かおるの作品を読むようになり、その中でも「左のオクロック」という作品が妙に印象に残ってた。これは単車でツーリングするお話なんだけど、それまで鉄道でしか旅をしたことがなかったヲイラには非常に新鮮だったんだな。

時を同じくして、どういうワケか近所から単車がウチにやってきた。なんか捨てるらしいのを親父がもらってきたらしい。書類もあるってコトで早速登録し、ヲイラは学校へ行って二輪免許取得…すでに自動車免許はあったので実技だけだったけど。

で、左のオクロックを真似て休みに旅に出た。それも、正月に免許取って、ゴールデンウィークには九州の佐多岬、夏休みには宗谷岬まで制覇。これがヲイラの単車趣味の原点であり、ツーリング趣味の原点になった。

と、同時に実はソロキャンプの原点でもあった。これまでにも子ども会のキャンプとかには行ってたワケだけど、正直な話チョイと大変なイメージしかなかった。なんせ、時間がカッチリ決められてて、順番に作業を消化していかないといけなかったからね。これは乗り鉄も同じで、事前に時刻表をめくって乗り換えスケジュールを作成し、あとはそれを実際に消化するだけの旅だったんだわ。

ところが、単車旅…しかもキャンプ旅になると、自由度がぜんぜん違うんだな。走れるだけ走って、適当なトコで適当に仮眠。キャンプ場があればそこでテント張って…スケジュールなんかぜんぜんない世界。これはヲイラの行動様式にもかなりの影響を与えた。キャプテンハーロックのように、自分の意思で自分の行きたいところへ行くのだから。

単車自体も結構いじった。工作趣味と電気いじり趣味を生かして、エンジンやキャブまで色々をいじってみてたな。原付レベルなら、エンジンのオーバーホールぐらいまではやってた。

仕事は電子工作趣味の延長線上のコトが多かったけど、ある時ある会社で、ソフトを作らないといけないコトになった。それも、マック用のドライバ。必死になって英語の書類を読んで作成して、その手の会議にも顔を出すようになって、この頃に徐々に開発者としてのスタイルを作るようになっていったんだと思う。

と同時に、ロボット趣味も復活。マイクロマウスをやってたんだけど、すでに限界を感じてたヲイラは、色々あってあるロボット会社に転職。ここで3D CADとCNCを覚えた。んで、自前の二足歩行ロボットを作り始めたんだな。これが二足歩行ロボット趣味の原点になった。

この頃には一人暮らしになってて、ホームセンターへ行くのもチョイと厄介だった。実家だと歩いて行けるんだけど、そこは電車を乗り継がないと行けないようなトコだったんだよね。

で、クルマを買った。参考にしたのは、コミック趣味の中で見つけた「ボルト&ナット」って作品。トゥデイってクルマがヘンだというコトにそこで気がついたんだな。色々スペックを調べてみると、結構面白そうだというコトがわかってきた。

で、あっちこっち探して生駒の中古車屋で生まれて初めてクルマを買った…しかも、現金一括で…30万円ポッキリだけどね(爆)。これがクルマ趣味の原点かなぁ。もちろん、コイツは今でも乗っているけど、当然のコトながら工作趣味や電気いじり趣味を生かして色々と手を入れている。

免許は高専5年生の時に先に自動車免許をとっていたのに、ココまでずっと単車だけだったんだよね(^_^;)。ま、そんなコトもあるわな。

で、仕事で紆余曲折あって独立したのはいいんだが、案の定運動不足が深刻な問題になってきた。単にデブるだけならまだ良いが、体力そのものがダウンしてきてるんだよね。スタミナが減ってるって感じで。なので、一念発起して新しい自転車を購入し、自転車趣味を再開(笑)。当然、今度は色々なモンが手元にあるので、この自転車も色々手を入れて行く予定…。

ま、この後も色々あって今はマイコン関係のコトをお仕事にしてるけど、ご覧の通りで実は全部の趣味が繋がっているんだよね。突然突飛なコトを始めたなんてのはほとんどなくて、全部が延長線上だったりする。

なので、今やってるコトをちょっと違う視線で見たりすると、新たに興味が湧いてきて趣味になる何かがあるんぢゃないかな。特に若い衆は、いろんなモン見て体験しとくのをおすすめしますよ…死なない程度にね(^_^;)。

(2018/6/24 : 自転車の項、追記)

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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