[Essay] 馬鹿げた勤勉さ

タイトルを誤読する人も出るだろうから最初に書きますが、勤勉さを馬鹿げていると言ってるワケではありません。チャンと読んでね。

ステレオタイプなお話ではあるが、一般に日本人は勤勉である…とよく言われる。実際のところがどうだかは別にして、一定の賛同を得られるお話だろうとは思う。しかし、昨今の新型コロナウイルス騒ぎは、これが馬鹿げたレベルにまで昇華してしまい、かえって多くの問題を出しているのではないか…という気がしてならない。

努力と根性を尊び、無休である事を尊び、皆勤賞なんてモンまで存在するこの地域では、多少の病気であっても無理を押して動くことが賞賛される。宣伝では「風邪で休めない時に」とかヌカして簡単な薬で緩和してでも働けという強迫観念まで流され続けている。ドリンク剤の24時間働けますかなんてのも過去にはあったが、今でも形を変え残っているんぢゃなかろうか。ありとあらゆる方法でこういった価値観を染み込まそうとしてるワケだ。ヲイラはコレを洗脳と呼ぶ。

こういうのを社畜根性と自嘲し、半ば諦観し、ひたすらに仕事すると言う姿勢は、当然高齢者にも同様の観念を継続させる。習い事があれば継続するのが当然、仕事も継続するのが当然、体調不良は自己管理の甘さの現れ…等々、この手の事は枚挙に暇がない。

一方で、こういう抑圧に耐えきれなくなって暴発するケースも散見される。傍若無人な高齢者ってのはその典型だろう。若い頃に押さえつけられ続けた結果、引退して枷が外れた途端に傍若無人になるのもまた、こういった「馬鹿げた勤勉さ」の裏返しだと思う。

また、どうもこの地域の人は「道」という言葉に何がしかの畏怖を抱いているように思う。剣道とか茶道とかそういう「道」ね。本来単に長く続けたってダケのコトには何の価値もないのだが、結果が得られなかった者が、そこに価値を見出すことで自己保身を図っているのだろうか。

一方で休みに「休暇」という言葉を使用するのも洗脳の一つだわな。「休日」ならまだしもね。休暇という言葉を使えば使うほど、「休みは暇な時間」であるという意識を固定化するように作用してると思う。たぶん、探せば他にもこういう「言葉で縛っている例」ってのはあるんぢゃないかな。

こういう環境下に、新型コロナウイルスは来た。検査希望が殺到する最大の理由は、まさにこの馬鹿げた勤勉さにあるのではないだろうか。つまり、「身の潔白を証明し勤勉に働くため」に検査してくれ…という論理だ。

こう考えると、いくら「なんらかの症状が出ているなら、それが他の病気であれ新型コロナウイルスであれ、まずは自宅で療養しろ」と言っても聞かないってのも理解できる。風邪「ごとき」なら、市販薬を飲んででも会社へ行けと洗脳されているんやで。検査してくれないなら「わからない」のだから仕事に行くってのが、こういう洗脳をされている人にとっては正義だろうからな。

専門家会議(これ自体も結構政府の息がかかっている匂いがするが)が、10代後半から30代の罹患と伝染を指摘しているのに、30代に対する話が何もないのもたぶんこれ。勤勉に働け、休みは許さん、罹患しても知らんってコトやろ。でも、こういった洗脳がなされてるから、何の疑問も抱かずに会社に通うわけだ。

一部の会社はテレワークなんて話も出ているようだけど、いきなりやってアチコチで破綻している話も聞く。そらそうだろう。普段から出社第一主義でやってきてるのだから、インフラ整備のレベルから足りてないであろう事は容易に想像ができる。

そろそろ、この馬鹿げた構図に気付こうでって思う。今まで正義だと思ってきたその勤勉さも、極大化すれば害悪なのだってコトに。過ぎたるは及ばざるが如しってのは、たぶん今でも正しいんだと思う。

(新たに気づいたコトがあったら追記の予定)

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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