プロダクトの進歩は常に半歩先

FBのUI改変騒ぎを見ていると、昔あった大騒ぎを思い出したので、思い出記録も兼ねて書いてみることにした。

タイトルは誰かの受け売りなんだが、失礼ながらオリジナルを忘れてしまった。自分で作って使うモノなら何をやっても構わないと思うが、製品として世に出すモノに関しては、その継続的な進歩は常に半歩先であらねばならない…と教わった。

これはどういう意味かというと、製品を改良して進歩させるのは大事なコトなんだけど、あまりに一気に進歩させすぎると、今度はユーザーがついてこれなくなり結局は萎んでしまうコトになる…という戒めなんだよね。既存のユーザーとの接点をキチンと確保しないと、最悪は誰も使ってくれないってコトになるんだわ。

少なくとも、同じタイトルを冠して新しい製品を出す場合、そのタイトルの続編であるコトをキチンと理解し、既存のユーザーにはあまり大きな変化がないように…でも細やかな部分で少しずつ改良を加え、少しずつ変化させていく必要がある。これをやらずに一気に色々変更してしまった場合、既存のユーザーからは「タイトルだけ借りてきた駄作」「タイトル詐欺」という評価を受けるコトになる。これは案外尾を引く問題で、既存のユーザーってのは基本的にはベテラン扱いされる存在であるコトが多いので、そういう人に教えを請うた初心者も同じ目線でモノを見てしまうコトになるのな。

MacOS Xがまだ10.1とか10.3とかだった頃がまさにそれで、ヲイラは当時、あまりにデキの悪いUIをボロクソにケナしていた。無論、今でもアレはゴミの分類を受けていい駄作だったと思っている。一部の業界関係者からは「もうそれ以上言うのはよせ」みたいな指摘を受けて喧嘩別れしたケースもあるけど、ヲイラはそこは譲る気はなかった。だって、本当に既存のユーザーを完全に置いてきぼりにした「似て非なるモノ」だったのだから。

(今?相変わらずダサい部分が結構残っているけど、だいぶマシになったとは思うよ。でもフォルダアイコンをダブルクリックして別のウインドウが開かないのはゴミな。少なくとも、ソレが可能な設定ぐらい残しておけ…と思う。表示書式の属性も相変わらず忘れるし。)

秘密でもなんでもないが、MacOS XはNeXTのOSをベースにしている。しかし、MacOSの名を冠する以上、UIはMacのそれを継承してもらわないと困るワケ。だから、当時急にMac業界になだれ込んできた旧NeXTユーザーとも結構な数の喧嘩が発生した。向こうには何がマズいのか全く理解できていなかった人が多かったように思うが、それでも散々議論した結果、一部の人には理解してもらえたと思っている。

逆に、同じMacOS Xのカーネルベースで作られたiOSに関しては一定の評価をしてきた。なぜなら、完全に一新したUIに対し、異なる名前を冠して世に問うてきたからだ。しかし、ここで注意が必要なのは「それでも既存のユーザーに配慮していた」と言う点だろう。

どういうコトかというと、AppleはiPhoneのことを決して「通信デバイス」だの「情報端末」だの「電子手帳」だの言わなかった…というコト。あくまで「電話の進化系」「電話の再発明」と言い続けていたワケ。実はココにも「半歩先」が隠れていると思っている。iPhoneはあくまで「電話機」であり、普通にボタン(画面だけど)を押して電話できるってトコをまず見せた。そのあと「付加機能」として色々な機能が追加されていったけど、少なくとも最初の部分では「電話である」というコトを強調していたんだよね。

ここに、既存のユーザーとの接点をしっかり作ろうとした作戦が感じ取れるんだわ。デバイスとしては全く新しいものでも、「既存の電話ユーザー」を意識していたハズだよ、あれ。一方でiPhone/iOSと全く新しい名前を冠したのも、「既存のMacユーザー」に対して「これは別物ですよ」というアピールになっているハズだ。別物なら、先のMacOS Xの時のドタバタは発生しないからね。

無能なデザイナは、デバイス自体の新規性ばかりを見ていて、「だから完全に違うモンを出しても構わない」「俺進化最高」とか思っていたりするのだろう。だけど、実際に世に受け入れられるためにはこういった「半歩先」の調整努力が必須なワケで、むしろデザイナとしてソコをトータルで考えられないようであれば、半人前と言わざるを得ない。

また、無能なデザイナは枝葉ばっかり見てて全体を見ていないとも言えるだろう。やれサイズが色が形状がと言っても、それはあくまで枝葉のお話。全体として誰にどう使われるのかを考慮しないのは無能の証明だし、そういう枝葉の変更を進歩だと言って出してくるのは恥ずかしいレベルですらあると思う。

逆に、その観点から何かを新規に作る時ってのは、そのUIの進歩する先のコトもある程度は見越して実装を考えていく必要がある。どんなに簡単な、ツマミとボタンと文字液晶だけのようなUIであっても、その全体の使い勝手を共通化しておかねばユーザーは混乱するし、かといって新機能が追加できる余地がなければそこで終わりになってしまうワケ。この最初の部分を読み切るの、超大変なんだよね。でも、そこを努力しないでドコを努力するのだ?と思っているから頑張るワケ。

で、困ったコトにこの半歩先の努力がうまくいったケースって、実はほとんどの人にはその努力は評価されない。なぜなら、あまりに自然過ぎてそういった努力の結果だとは理解できないから。むしろ、上記のような騒ぎが起きなかったことが評価ポイントなんだよね。だから、こういった活動をきちんと行っているデザイナを評価するのは非常に難しいし、無能なデザイナは目立った評価が欲しくて半歩先を無視するという問題が発生していると思っている。

ヲイラがデキの悪いのを上記のようにボロカスに言うのは、こんな無能なデザイナが評価されて欲しくないからだ。そしてたぶん、物事をできるだけ本質から考え抜いている人だけが、この半歩先の努力を行うデザイナを評価できるのだと思う。

それを嗅ぎ分けるセンスは常に磨いておきたいと、ヲイラは思っている。たぶん、他のジャンルでも同じような話はあると思うからね。

以上

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
カテゴリー: 日常, 書き物 パーマリンク