統一感の検討

これはあくまでヲイラ自身のデザインセンスの問題なので、一般化してモノを書く気は全くないのだが、どうしても時々引っかかるモンを見かけてしまうたびにモヤるので、一度真面目に文章にしておこうかと…

世の中には色々なモンが存在していて、それらが色々に重なり合っているから楽しいというのは充分に承知するし、そういう意味で「多様であるコト」というのはとても大切なコトだ…というのは大前提にあるのだが、それでも時々引っかかるコトがある。

言葉を探すことすら難しいのやが、それは、ある作品における雰囲気の統一化に関する部分…かなと。雑多なモンを並べて作品とする場合もあるのやが、それは「雑多である」という「統一」が成されていると理解してる。でも、気になるのはそうではない奴のコト。

非常にナイーブな部分があるので、具体的に何に違和感を感じるのかを列挙してみよう。

●アニメ作品の場合

例えばアニメ作品の場合、キャラクタが「平面の図」であるのにも関わらず、周囲のメカが「明らかに3D」ってのにはかなり違和感を感じる。これは単純なスチル状態だけではなく、モーションにおいても同じ。仮に全てにいわゆるトゥーンレンダリングが成されていたとしても、キャラクタのコマ割がいわゆるアニメ動画的な「若干歪んだ動き」なのに、そこに出てくるメカだけが「完全に3Dで計算された完璧な動き」をしていると、恐ろしく違和感を感じる。

道をゆく原付とかバスの動きが妙に直線的で、キャラクタがポワンとしているコトのギャップと言えば良いかな。メカを描くのは難しいというのは理解するんだけど、この違和感をもう少し考えた方がイイんぢゃなかろうか。

似たような例で、例えば水面の波の光の反射だけが妙にリアルで浮いてるってのもある。この場合は「解像度」が合っていないと言うべきか。アニメと実写を合成したような作品にも同様のギャップを感じる。

絵そのものだけでなく、時間軸も含めた「解像度」の異なるモンが同居している風景って奴に違和感を感じるのかもしれない。

●物理作品の場合

例えば二足歩行ロボの場合、胴体も腕も脚も全てアルミギラギラなのに、頭だけ樹脂製の妙に高解像度なものが載っている…というのに違和感を感じる。手だけ妙に高解像度のものが付いている…とかもね。これが、例えばアルミボディの外側に飾りで同様の樹脂を使って意匠を施した上でなら、全く違和感は感じない。

これは、いわゆる「テクスチャの統一感」の問題だと思う。無論、あえて外してくる場合もあるが、その時は恐ろしく高いセンスを要求されるだろうね。

とても難しいと思うのが「生首を乗せたメカ機体」だろうか。日本にはMS少女とかの絵柄が存在するので、今時のメカ+生体のイメージは違和感が起きにくいとは思う。海外でもファンタジーの世界には甲冑+生体のイメージがあるだろうから、それに沿ったデザインなら違和感は起きにくい。

しかし、逆に完全に箱物のロボットボディの上に生首が乗ったら、これは恐ろしく違和感が大きい。下手をすれば、「ロボットが、切断した人間の生首を晒している」ように見えかねない。

この辺りのまとめ方には、恐ろしくセンスを要求されるのやと思う。

この辺は、実は二足ロボに限らない。全体のテクスチャの中でアクセント的に異なるテクスチャを混ぜるのはアリだが、両者並存みたいな状況になると統一感がなくなり、非常に残念な雰囲気になってしまうのよな。

ヲイラが何かを設計する時も、この辺は常に意識しているつもり。そして、一点豪華主義は絶対に取らないコトにしている…大抵は恥ずかしい結果に終わるだけだから。

とりあえず、今思うコトを並べてみた。また何かあれば追記しよう。

(継続中?)

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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