[Essay] 物語を読む…ということ

久しぶりに、TWに書いた奴から拾ってコッチで加筆してみようか。

今は転生モノとか流行ってて、行き先がファンタジーな奴も多いと思うのでご理解いただけるパターンかなと思うんだけどさ…ほら、貴族が手慰みに平民焚き付けて競わせて、でもその結果の上前は全部貴族が掻っ攫っていくってパターンあるやん。

内容は色々で、レースものだったり冒険者ものだったりするワケやけど、話の途中とかに出てくるエピソードの一つみたいな感じで、この手のクソな貴族が平民を甚振る手法の一つとして、かつ自らの利益も得るなんてパターンでやってるワケや。

大抵はマッチポンプな構造になってて、仮にそれに気づいた平民がいたとしても、直接貴族に矛先が向かないように、買収した平民混ぜて仲違いさせたりな。その手の物語、たぶん山ほどあるやろ。割と昔から使われてるパターンなので、たぶん幅広い年齢層に理解される奴やと思うんやけどな。

で、場合によってはそれを仕切ってるのが実は平民成り上がりの貴族だったりするわけだ。だから平民も「彼の方なら」と騙される。もうどこにでもあるような物語だよねぇ。結構多くの人が、そんな物語を「読んで」きたんぢゃなかろうか。

だけどさ…それ、チャンと読んでるか?読み流しただけで、一時の快楽だけで捨ててないか?空想の世界やから、自分には関係ないコトやとか思ってさ。一通り読んで、登場人物の誰かが問題を解決して、それを読んだコトでカタルシスを得てオシマイ…その程度の読み方しかしてない人、少なくないんとチャウか?って気がしてるんよな。

というのも…や。今日本で発生してる問題のいくつかって、まさにこの構図とチャウんかな。大学の競争的資金然り、例のヒットした作品だけ金を出すの然り、いずれも「貴族(もしくは上流国民)」が仕掛けてきてるコトで、かつ利益は貴族に吸い上げられ、時に平民の側が仲間割れするように仕向けてあるわな。

普段そういった物語を読み流すだけやなくて、自分の身の回りに同じような構図がないか、よく考えてみたらエエと思う。それが「単なる消費者」から「自分のアタマでモノを考える人」に変わるキッカケになると思うで。いろんなパターンを描き出してくれてる物語があるんやから、参考書はナンボでもあるし。

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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