[Essay] ファーム屋さん減少に思うこと

今の組み込み系やれる人の減少って、もしかして一種の反動なのかな…と、思うコトがある。例の就職氷河期のせいで世代交代がうまく進まなかったってのもデカいとは思うんやけど、それだけやないんやないかな…と。

日本がいわゆる電子立国でハードウエアを爆売りした結果、ハードウエアだけやってりゃ生きていけると勘違いし、ソフトウエアによる柔軟な世界についていけなくなって爆散したのは記憶に新しいけど、その結果今度はソフトウエアだけやってりゃ生きていけると勘違いしたのが大量に発生し、ハードウエア&組み込みの世界をおざなりにしてしまったのが今なのかな…と。

恐らく、今でも企業に残る「当時を知る人たち」の多くはハードウエア信仰から離れられず、そのまま老害勢に成り下がってるんとチャウんかなと思うんよね。若い衆は当然そんなモンと切り捨ててしまうので、ソフトウエアの世界ばかりになっていくのかな…と。

で、これ根底は実はどちらも同じ問題を抱えていて、多分いわゆる究道精神ってのがあって、一つのコトを極めないとイケナイって強迫観念に囚われたままだからではないの?とか思うのよな。かつてハードウエアやってた老害勢も、今ソフトウエアをやってる若い衆も。だから、俯瞰してトータルで見る能力が足りないという。

どっかの間抜けな人が「まずは型を覚え、次にそれを破ることで型破りになるのであって、何もないのは形無しや」とか批難してたけど、そういう究道精神でいるから勘違いが大量に発生するんとチャウんか?って思うのよ。そりゃ、怪我したり命に関わるような問題があるなら事前の準備は大事やけどね。でも、それにしてもキチンと説明されなアカンしな。

ロボットの世界が今ひとつ先に進まない原因も、これが多重構造の存在だからであって、どれか一つだけ究めても意味がないってトコにあるんとチャウんかな?って気がするのよな。無論、個別に解決していくコトは大事やけど、それはその個々の問題であってロボットとしてどうか…ではないからね。

とはいえ、いろんなもんゴッチャにして獲得していくのは、それはそれでシンドい世界ではあるんよな。それぞれの個々ではたぶん自分よりも遥かにツヨツヨな人たちがゴロゴロしてるだろうから、そういう人たちの覇気にアテられると元気も減ってくる。とゆーか、ヲイラもシンドい(笑)。

でも、今のようなソフトウエア偏重な状態はじきに破綻するのも恐らく確実やろうなと思うと、ハードウエアの世界を広める活動を地道にやっていく必要があるんやろなって思う。ソフトウエアの本質を見極めた上でどういうハードウエアにすべきかを決定できる能力と、そこで動作するドライバとかファームを書ける能力を維持しないと、ソフトウエアだけの世界なんてただの絵に描いた餅で終わるだろうからね。

そりゃ、楽園追放のディーヴァに行ってしまえばハードウエアの問題は一気に減るだろうけど、それにしたってその殻のメンテナンスや拡張は必要や。有限のリソースしかない状態は長持ちしないのは明白やしな。ま、ヲイラはあんなトコ行きたくもないけど。

なので、少なくとも人間が肉体に縛られているウチは、ハードウエアや組み込みの世界は維持されていかないとアカンと思うのよ。でないと、どっかのトイレみたいにブルースクリーンになって水が止まらなくなったりするワケでな。

ハードウエアとかファームウエアとか、嫌ったり怖がったりしないで欲しいなって思う。

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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