起業家なんて、ワケがわからないと書いたら、更にワケがわからない論理を振りかざす人が出てきたので、ヲイラの考えをまとめておこうかと。
昔から言われてる組織論って、大抵はこんなコトを言ってると思う。
- 役割の設定は大事(どの役が指揮しどの役が実行するのか)
- 組織の維持のため、それぞれの役に誰がついても稼働できるようにする
- 役に応じて報酬に差をつける
- …
つまり、組織というテイを維持するためには人間を交換可能な部品とするコトを前提としてるのね。
しかし…だ。これは現実にはアリエナイというのがヲイラの考え。
なぜならば、人は感情の動物だから。組織においては感情なんか捨てろって話も結構あったけど、それがいかに馬鹿げた話なのか理解できない人がいるらしい。
なぜ馬鹿げてるのかって?だって組織の目的って基本的には「誰かの嬉しいを発生させるため」でしょ?それが誰なのかはさておき。最初から感情が起点にあるんだよ。なのに組織では感情を殺せだなんて、どんなダブスタですか?ってコト。
それに、何らかの活動には当然責任が伴う。その責任を誰が被るのか?って問題を軽視しすぎなんだよね。感情の当然の裏返しとして、問題があれば怒りの感情が誰かに向く。それは組織ではなく構成員…そしてそのトップに向くのが当然なのだな。
だいたい、誰が責任を負うのかを明確にする必要がないなら、誰が構成員で誰がトップであるのかも明確にする必要がない。この時点でもう、組織なんて属人的になるしかないワケだ。逆に言うなら、無責任であろうとすればするほど、明確にしたくないんだろうね。
そういう観点を考えれば、起業家なんて言葉がデタラメな話であるコトは簡単に結論づけられる。立ち上げるだけ立ち上げてサッサと逃げ去るのが前提ってのは、責任を負う気がないってコトだから。
自動運転の議論でも言われているけど、結局最終的には「誰が責任を負うか」が全てでしょう。世の中の安全の担保ですらもそう。ソコを曖昧にする活動なんて、そらロクなもんではないわな。
従って、起業家なんて肩書きつけてる人たちなんて、一切信用に値しないとヲイラは思ってる。