[Essay] 遠く時の輪の接する処で巡り会いましょう 

松本零士御大が逝ってしまわれた。多方面で色々表明されるとは思うが、ヲイラの思うトコロを書き記しておく。

先に書いておくが、ヲイラは御大の晩年の著作権に関する主張に関しては一切与しない。特に著作権期間の延長を求めるのは論外やと思っている。まるでプロフェッショナルの星にいる迷惑なプロフェショナルそのものだからだ。

さて、それはさておき…

ヲイラの行動原理の多くは、御大の作品で構成されていると言っても過言ではない。中学生の頃に銀河鉄道999やキャプテンハーロックにハマり、作品に登場する人物像に憧れ、そうありたいと思い続けて還暦目前の今に至るレベルで…だ。

ヲイラの道徳観の多くはコミック版やTV版の銀河鉄道999の影響を多分に受けている。汚い政治家の話、偏屈な人の話、世界の陰で泣く人の話、自分の思う道を進む人の話…こういったサンプルが大量に含まれてるのがこの作品だった。時に挫折を味わい、時に負けるコトがあったとしても、いつかどうにかなると根っこの方では信じていられるのも、この作品をずっと摂取し続けていたからだと思っている。

一方で、技術というものが持つ悲しさを、戦争をテーマにして展開して見せた戦場まんがシリーズもまた、ヲイラの道徳観の一つになっている。今ではネットミームになりつつあるあの銃のシーンも、この作品の一部やな。

だから、会社を辞める時のような人生の決断をする場合もそんなに極端に深刻になるコトはなかった。むしろ、自分の思うところを続けていけるかどうかの方が重要だった。だから、側から見れば不可解であろう「スーツ強制」ですらも退職理由になりえた。

前職の会社が爆散する時もそうで、そこから今の立場になるのもそう。会社員であった頃から心情としては独立しており、爆散は単なるキッカケに過ぎなかった。なんかあれば、ゴダイゴのTaking Offを聴きながら物事を進めていけた。

巷では宇宙戦艦ヤマトの話が多く出るだろうが、著作権で厄介なコトになった作品として御大を代表する作品ではないと思っている。メインは銀河鉄道999ではないだろうか。当時の御大の世界観は、銀河鉄道999にこそ色濃く反映されていると思っている。

ヲイラみたいなのがなんとかココまで生き延びてこれたコトすら、御大の影響無しには考えられないと思っている。御大は、これからは肉体を離れ遥かどこかを放浪の旅…ガンフロンティアのような場所に転生されたりしているのかもしれん。

今までありがとうございました。いずれヲイラがそちら側へ行く時がくれば、直接お礼を述べたいと思います。

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
カテゴリー: 日常, 書き物 パーマリンク