[Essay] 「スマートな悪 技術と暴力について」読了

チとネットで見かけて興味深かったので…ダメなら売り飛ばす前提でサクっと買ってみた

ネットで引用されてた内容が興味深かったので、つい…ね。結論から言うと、これは保存版であり技術者は一通り読んで考察すれ…って思った。

具体的には、もう何年も継続しているであろう「最適化」の弊害のお話。人間自らも最適化した結果、問題点を問題点と認識できなくなるという指摘と、その現段階における解法の一つの提示。詳しい内容は書かないので、興味があれば買ってみると良いと思う。哲学書のせいなのかチと冒頭が回りくどい印象があるけど、ある程度読み進めるとサクサクと進むと思う。

で、なんでこのページを書いたのかというと、これに関して興味深い現象を知ってるから。善悪ではなく、非常に興味深いのよ。

本書においては、最適化の一例としてMSのSurfaceの話が出てくる。全て「純正」で固められていて、他のモンが入り込む余地がない形で製品化されてるってお話。まぁ、これ自体はヲイラも納得するんやが、そうするとどうしても気になってくるコトがある。

そう、Appleの製品…特にジョブズが手掛けてた時代の製品のコトやな。最初期のApple][においても逸話があったと記憶しているが、ジョブズができるだけクローズドかつコンパクトにしようとしたのに対し、ウォズは拡張性を重視した。その後、Mac 128はその極端な拡張性の無さがまさにジョブズのポリシーそのものだったし、iMacやiPhoneに関しても然り。ウォズはガジェットとしてのパソコンを好み、ジョブズは統一的な環境を好んだのだろう。

ただ、ここで不可思議なコトが発生してたんよな。それは周辺機器とか機能拡張ソフトのお話。ジョブズの統一感ポリシーはさておき、多くの周辺機器やアクセサリが製品化され販売されてた。OSにパッチを当てる形での機能拡張で、色々な機能を追加する奴が後を絶たなかった。挙句に、中にはそのままOSに同等の機能が取り込まれもしたりした。

Apple][は結局拡張性をメインにした形で販売され大ヒットしたワケやが、その余波にしてはかなり長いことこの傾向が継続してる…というか、たぶん今もそうやろ。

最近でこそiPhone以外のスマホにおいてもある程度のアクセサリは出てきたものの、チョイ前はショップのアクセサリコーナーと言えば大半がiPhone向けではなかったか。

ジョブズのポリシーを突き詰めるなら、こういった外部のアクセサリは排除されるベキであり、実際に色々と排除されていったモンも経緯もある。まぁ、セキュリティが理由になってる奴もあろうけどさ。だけど、どういうワケか昔から(たぶん今に至るまで)この手の不思議なアクセサリ開発は継続してる気がするんよな。

この現象はなんでなんだろうね。スマート化に対する対抗手段と言えばそうなんやけど、ジョブズが出してきたモンに対して悉く何らかのアクセサリが出てくると共に、それらが一定のビジネスになっていたって現象が興味深いと思うのよ。iPhoneを買う層がお仕着せを嫌うのか、それともジョブズが排除しようとする部分を踏み越えるのが快感なのか…

件の著者には、この辺りも一度考察してもらえたらなと思った次第。

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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