まぁ、時には恥ずかしい自省の言葉も並べる必要があるのかな…と。
後数年で還暦って歳になってくると、今の若い衆の言動や活動を見て、深く反省したくなるコトとか発生するワケですわ。20代の前半までのヲイラってのは、基本的に「うまくいかないコトは誰かのせい」という発想が根底にあって、それを理性で抑え付けて責任って奴を負ってたみたいなトコがあったんよな。
これはもうごく単純なお話で、いわゆる無駄に高いプライドが根底にあった…というコトや。でも、外聞的にそれではアカンってコトも解ってたので、理性で抑え付けてたんよ。
その結果どうなってたのかというと、いわゆる当事者意識って奴がホボ欠如してたんやな。おまけに、そうやって俯瞰してる俺カコイイ的な部分もあったと思う。今となっては恥ずかしいコト極まりないけどな。
何かを成そうとして、でも成せない時、表面上は自分のせいだと解っていても誰かのせいにしたいってコトは、どこかのミームなクルマ好きの映像を見るまでもなく「よくあること」なのかもしれないけど、これを放置しとくと結構厄介なコトになるんよな。
無論、社会問題とか環境問題ってのはそれはそれで問題なので、そういったモンに文句をつけていくのは当然。でも、自分自身が成したいコトに関しては結局「自分自身に文句をつける」しかないねんな。「ホンマに自分は必要なコトを行ってきたのか?」とか、そもそも「本当にそれを自分は欲しているのか」…とかね。
そういった自分自身の部分をきちんと省みるコトは本当に大事やと思ってる。上辺だけでなく…ね。
ヲイラがこの辺から抜け出せたのは、多分単車で一人旅するようになってからやと思う。当然、一回行ったぐらいでは変化なんてロクになかったけど、二回三回と繰り返すうちに、ちょっとずつ変わっていったと思ってる。
なぜなら、単車の一人旅って結局全てが自分のせいだから。泊まる場所が見つからないのも、飯のタイミングを逃すのも、単車が不調になるのも、雨を派手に食らうのも、全部自分のせいやねん。雨は天気のせい?いやいや、雨降る場所へ出かけた自分のせいやねん。
その前にやってた列車の一人旅の頃は、まだそこまでのコトにはならなかった。誰かの手のひらの上で踊ってるような感じやったし、だからこそ国鉄がJRになって手のひらが狭くなってしまったら飽きた。でも、自分で運転していく旅は違うみたいなんやな。
全てが自分のせいとまでは言わんけど、多くのコトは自分の決断に起因してる…この単純なお話をチャンと理解できるようになるまでに、だいぶ時間を必要としたってワケや。なんとも情けない限りやけどな。それも、偶然興味をもって出かけた単車旅で教えられるような形やったから、あの時出かけなければ、今もまだ…だったかもしれんね。
ほんま、色々難しい&偶然が重なって今の自分がある…と思う。んで、多分今後もまだ色々見聞しては変わっていくのだろう。まぁ、変わるペースは遅くなってるかもしれんけどな。変われなくなった時は、棺桶の中かもしれん。
ちょっと書きたくなったので、反省文を書いてみた。時にはそんな時間も必要なんやろと思いながら。