[Essay] 型破り

誰の言葉か知らんが、「一度型に入ってこそ型破りになれるのであって、そうでないのは型無し」などとホザくボンクラがいるそうだ。どんな高名な人物か知らないが、これほど馬鹿げた言葉もないだろう。まぁ、形骸化した型しかない世界しか知らないのだろうな。

経験上、型破りな奴は最初に型にハメられたか否かに関係なく型破りだと思ってる。一度型にハメないとと言うのは、単に型にハメたくて仕方がない連中の言い訳に過ぎない。そんなん真に受けて、せっかくの良い芽を潰したケースの方が遥かに多いと思うのだがな。

「型破り」という言葉から、なにかマッチョなイメージを持つ人もいて、そういう人は物理的に型を叩き破るイメージでしかモノを見ないボンクラだったりする。実際の型破りな人ってのは、そもそも型しか知らない人には理解できない方法で物事を解決できる人なのであって、当人がマッチョかどうかは関係ない。

したがって、割と気弱なタイプ(だけど、やってるコトは型破り)を無理矢理型に押し込めたりすると、簡単にその才能を放棄してしまうコトになったりもする。そこから出てこれなくなってるのを見て「まだまだだな」なんてホザくのは、ボンクラを通り越してバカだわな。才能を壊したのはオマエなんだよ。

こういう、一見もっともらしい言葉を並べて悦に入ってる奴を見ると、ふざけんなって思う。貴重な才能をそうやって潰してまわってるのは、害悪以外の何物でもない。こういうのこそ、年齢を問わず老害というのだろう。

以上

Zak について

基本的にヲタクです。いや、別に萌えとかいうのではなく、ハマるとトコトン進めようとする癖があるので、自制が必要だという…。
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