まぁ、ヲイラがソレに気づいたのは30代も半ばになってからやけどな。特に理系で人間関係に悩んでる人と、自分の存在意義とかに悩んでる人は読んでみてほしい。
人間社会、基本的に一人っきりで生きるコトは事実上不可能と言っても良いワケやが、そうすると常に頭を悩ませる問題が発生する…そう、いわゆる対人関係…人付き合いって奴やな。
それは他人相手でもそうやし、家族相手でもそう。自分ではない誰かとの付き合いってのは、何らかの形で発生する。野生で完全自給自足できる人ってのは、そうは居まい。ジャングルの奥地でヒッソリ暮らしているようなケースでもない限り…ね。
結論から先に書いてしまおうか。少し寂しいお話かもしれないが、ヲイラはこう考えている。
「全てにおいて完全無欠に自分のコトを信用/信頼してくれる人なんて、どこにもいない」
幸せな子ども時代であっても親を100%信用できるのか?と言えばさにあらず。時には腹黒い親もいたりするだろうし、逆に何か負い目でもあるのか隠し事をしているケースもあろう。多分誰しも(たとえ親であっても)全てにおいて信用/信頼できるとは限らないんやな。
ましてや、最近よく聞く毒親系なんかやともう壊滅的なんだろう。ウチは幸いそういう感じでは無かったけど。他人に至っては、そもそも育った環境からして全く違うんやから、そりゃ様々な齟齬が出てあたりまえや。一緒に育った兄弟姉妹であっても齟齬があるんやから、当然やな。
なので、ヲイラはこう考えるコトにした。
「内面はさておき、少なくとも相手が友好的に振る舞ってくれるなら、自分も友好的でいよう」
逆に言うと、相手が自分のコトを真の意味でどう考えているのかなど、今更イチイチ考えても仕方がないという結論に達したワケや。
特にいわゆる理系の人間は、「答えを導き出す事」を至上としてしまう傾向があるように思うんやが、こと人間関係においてはその真相なり真実なりを追求しても仕方がないんよ。だって永遠にわからないんだもの。それに、それは普遍でもなければ不変でもなくて、ある時々で移ろい変わっていくモンやからな。ある時の味方がいつの間にか敵になるコトもあるし、その逆もある。そんなモン、イチイチ考えてても時間の無駄なんやな。
ただねぇ…最初に書いた通り、ヲイラがそこに至ったのは30代半ばぐらいやったと思う。それまでは、あ〜でもないこ〜でもないと頭を抱えてるコトが多かった…(気づいてる人はいたかもしれんが)表向きはそんなん全く出さなかったけどな。
ぢゃ、何をキッカケにそうなったのか?というと、実は一人旅の旅先で出会う他の旅人との交流からなんよ。
一人で旅をするというコトは、一見孤独なようでいて、実は案外そうでもない。むしろ、一人の方が旅先で様々なモンを受け入れるコトができるように思う。それは環境だったり食い物だったり…そして、赤の他人だったり。
旅先のキャンプ場で、ちょっとしたキッカケで他の旅人と話をするようになったコトが何度となくあるんやが、お互いに皆誰しも相手がどこの誰なのか全く知らない。普段何をやってるのかも全然知らないワケやが、それでも挨拶ぐらいはできるし、時には旅の話題で盛り上がるコトもある。しかし、翌朝には大抵皆自分の思う行き先へ出かけてしまう。いわゆる一期一会って奴やな。こういうのを何年も繰り返していると、徐々に「その場限りかもしれないが、友好的に話をしてくれる人」ってのと多数出会うコトになるわけよ。その経験の積み重ねが、先のような結論を導き出してくれたんよな。
まぁ、ぶっちゃけ建前だけのコトやんけって言われたら返す言葉もない。でもね、一度このことが腑に落ちると、案外ハラが座るようになったんやな。ある意味
「所詮、人は誰しも結局それぞれ孤独な存在でしかない」
ってコトを受け入れたってコトでもある。一時的に誰かに支えてもらえるコトもあるかもしれないが、それも永遠に継続するハズもないってコトに納得したワケよ。
それに納得できると、逆に一時的なものであれ協力関係を得られるというのは恐ろしく貴重なコトであると感じるコトができるようになるんよな。それなら、できるだけ友好的であろうと思うワケや。ヲイラ自身も含め、お互い誰しもハラに何を抱えてるのかはわからなくても…な。
また、同時にいわゆる「人生の目的」とか言うのが恐ろしく空虚なモンに感じられるようになった…というか、そんなモン最初から存在するかいな…とな。世に産まれ出たコトは一つの奇跡ではあるが、だからといってそこに意味なんぞ元から存在してへんのやと思うようになったワケよ。世の偉そうな人は二言目には意味とか目的をどうこう言いよるみたいやけどな。
むしろ、そんな洗脳が世の中の悩める人を増やし続けてるんとチャウか?とさえ思ってる。人生の意味?目的?そんなもん、最初からあるかいな。勝手に押し付けるなやって思うワケや。やりたいコトがあるならやれば良いし、なければダラダラしててもええがな。まぁ、飯は食わんとアカンけど、それ以上のコトは本質的には不要やからな。
こう考えると、さっきと似たようなモンで「何かやりたいコト」があるってのもまた、恐ろしく貴重なコトであると感じられるようになるワケや。無いのがデフォなんやから。んで、これまた似たようなモンで永遠に無いのかもしれないし、ある時急に見つかるのかもしれんし、それをまた手放すのかもしれん。これまたイチイチ考えてても仕方ないねんな。
ま、20代でココに至る奴がいるなら、ヲイラ的には羨ましいとしか言いようがないけどな。ヲイラ的にはもう少し早く気づきたかったとは思うので。でも、経験の上にしか出てこない答えなのかなとも思うので、今はそれすらも仕方なかったかなぁって思えるようになってきた。
以上、還暦前のオッサンの戯言やが、誰かの足しになったなら幸いや。